炭素→原子力→水素文明への転換
東京電力・福島第一原子力発電所をめぐる問題で、除去困難な放射性物質であるトリチウム(三重水素)を含んだ汚染水の海洋放出が現実味を帯びてきた。
(上の写真、トリチウム水蒸気で濃霧→これが風に乗って関東地方、関西、西日本にも流れてくる)
元素転換なる用語が飛び交っているようですが、3Hは放っておいても半減期12年ほどで以下のような反応式に従って勝手に元素は”転換”されます。
3H → 3He + e– + (反電子ニュートリノ)
ここでできたヘリウムの同位体3Heは安定な核種なので、こうなってしまえば”安全な”物質に変換したことになります。また、重水素と核融合することで4Heになる反応(T-D反応)が知られており、これは核融合炉の実現のための有力な候補となる反応ですが膨大なエネルギーが必要です。
3H + 2H → 4He + n
もし、トリチウム原子を含んだ化合物に何らかの処理をして人工的に3Heにする反応を加速する術があるのであれば、トリチウムを除染する夢の技術になるでしょう。3Heは核融合炉を実現させる可能性があるので3Hから3Heを大量生産できる技術があれば非常に重要な、ノーベル賞級の発見になることでしょう。そのような技術が我が国で報告されたという事実は全くありませんし、今まで説明してきた通りの理由により、”トリチウム汚染水を水素ガス化して完全無害化するA社の技術”というのは科学的に全く正しいところがなく、100%あり得ないと断言します。別に陰謀でも、政治的な圧力でも何でもありません。
水素文明の基本式:水素+酸素=エネルギー+水
炭素文明の基本式:炭素+酸素=エネルギー+二酸化炭素
原子力文明の基本式:ウラン=エネルギー+放射性廃棄物
石油、天然ガス、石炭などを燃やす炭素文明が今の世界の基礎的なものなんですが、そこから原子力が夢のエネルギー源ではないかと言われていました。
炭素文明は二酸化炭素を作ってしまうので、地球温暖化に繋がるので地球環境負荷が高い。
が、原子力は放射能、放射線自体が原子を破壊するもので、人体内部の原子も破壊してしまい人体に有害で、放射性廃棄物が大量にできてしまい有効な処理方法は無い。
トリチウムは三重水素という水素の同位体で、水素に変換できそうな気がしますが、ノーベル賞級の研究らしくて、京大だったら出来そうな気がします。
トヨタ、ホンダが燃料電池車を作ってますが、これは水素文明への道で、以前、紹介しましたが、太陽光発電などで水を電気分解して水素をつくって貯蔵するという技術がすでにできていて、福岡県とかソフトバンクがメガソーラー作って技術開発してますね。全国で研究されてます。
ただ、この水素社会が実現してしまうと、炭素文明の中東、ロシア、南米とかの資源国の時代が終わり、原子力文明も終わってしまうので、困ったことになる人も大勢出てきます。
しかし、トヨタというのはハイブリッド車作って炭素文明の原油の消費量を下落させ(中国の経済失速が大きいが)、次に水素自動車作って水素文明に移行させようとしてるので、炭素文明、原子力文明の方には怖い会社だなと思います。
ただ、水素文明は太陽光だけでなく、原油、天然ガス、原子力でも作れますから、並存も可能といえば可能です。原油、天然ガスが安価ならばいいかもしれない。
どうも原子力の核融合の研究が放射能の除去に繋がりそうなのでそこも頑張って欲しいですね。 の によれば戦争の原因の根本は「地球に降り注ぐ太陽エネルギー自体が過剰である」(フランスのバタイユ、カイヨウなどの普遍経済学の理論を援用)ということなので、本質的に「戦争経済」である資本主義においては定期的に戦争を起こしてその過剰エネルギーを処理する必要性が出てくる。
ただ、僕らが未開文明と呼ぶ、資本主義以前の文明は、過剰エネルギーを富(「呪われた部分」とバタイユが呼んでいる)として蓄積せず、成長ではなく、再分配と祭りなどの消尽によって上手く処理していた。ピラミッドや古墳などもそういうものかもしれない。無駄にでかいがそれがいいとか。
つまり、解決策としては資本家や富裕層の富の蓄積自体が戦争を生むので、富を再分配するとか、無駄に消費すればいいだけなんだけどね。
未開文明の方が文明システム的には優れていたんでしょうね。
資本主義にはがん細胞的側面があり、それを社会主義的政策で適度に補完しないといけないし、そういう社会運動が時々、出てくるのは生命体としても社会自身がバランスを取るためのものです。
経済人類学者のカール・ポランニーの弟子のドラッカーが自ら「社会生態学者」と名乗ってたのはそういう理由による。
成長偏重ではなく適度に循環型単純再生産的社会も悪くないとということだと思います。成熟社会とも言うけど。
「パナマ文書」の背景も「ロックフェラー VS ロスチャイルド」の勢力争いなんでしょうけど、大企業、富裕層ばかり優遇してるけど、自然法則的にはその富は蕩尽されて消費尽くされる運命にあります。
富の蓄積しすぎは戦争の原因になるので、ぱあって意味もなく使うか、貧しい人に無償であげるかの二択しかないです。
投資しても最終的には行き詰まるし、富裕層は頭悪すぎるのでろくな使い道を思いつきませんし。根本的に馬鹿な富裕層は死んでも治らないだろうしね。
7~10年周期ぐらいでバブルが弾けてるじゃんということに気づかないと、その意味にも。
では、本題である『呪われた部分』の論旨を見て行きたい。まずは、「エネルギー流動」と「過剰さ」について取り上げたいと思う。バタイユの試みる「経済学」は金銭や商品のみを対象とした従来の偏狭なエコノミクスではない、バタイユが対象とするのは生命そして生命が組み上げる自然/文明をすべて包括しうる、エネルギーの経済学である。
この世界が展開するための機構と機構を稼働させる燃料とをすべて対象とする超域的な経済学なのだ。そして、地球上のエネルギーの根源は、太陽から放射される熱である。この熱は、補給や見返り無しに地球に与えられる。この熱は循環したり、回収されることがない、この熱の本質は「過剰なるもの」である。他方、熱は生命体を生み出す。生命体がこの熱によって産み出されるなら、生命体の本質は「過剰」である。本質としてのこの「過剰」をどう処理すべきかというのがバタイユの問題意識の所在する場所なのだ。
バタイユはこの莫大なエネルギーを放つ太陽というイメージを文学作品で幾度も描写している。第一に「イエスヴィァス山」で描かれた噴火のイメージであり、「太陽肛門」ではそれは肛門における排泄作用として描かれる。「過剰が吹き出す」というイメージが、太陽と肛門を重ね合わせるのだ。しかし、猿が人間になるプロセスにおいて、彼は肛門を足の狭間へと隠してしまう。
では、エネルギーの過剰は何処へ向かうのか?それは元々存在した太陽を目指し、身体の上部へと向かい、太陽を見るためだけに眼球を作り出す。それが「眼球譚」のイメージなのだ。
つまり、過剰なエネルギーは何処へ向かうのか、それがバタイユの第一義的な主題なのだ。そして、この問いにバタイユはこう答える。過剰である限りは、それは過剰なまま浪費されなければならない。つまりそれは有効性に還元されることなく、無意味に使われ、喪われなければない、と。
↑この本が凄く面白かったので、また、感想書きますが、監督の勝敗論とか、宮崎駿、庵野、富野監督とか、映画の話が深いです。
こちらの作品の方がなろうでは人気で、まあ、内容が小説家になろうの複垢ポイント問題についてだったり、なろうのあるあるネタ満載なんで、この作品も第一章「複垢調査官」が完結して、「常世封じ道術士 風守カオルの第二章 雛流しの呪法」の話に繋がっていくので、合わせて読むと面白いかもしれません。
この作品、傑作というか、文化人類学の交換や呪術的知見、諸星大二郎から攻殻機動隊までをカバーしてしまうサイバーパンクというか、オカルトパンクという新ジャンルの作品ですね。
たぶん、歴史を変えてしまう作家だと思います。ソードアートオンライン級の作品だし、書籍化、アニメ化、映画化希望です。
書くのも早いし、内容もいいし、更新が待ちどうしいというか、実は、まだ最後まで読めてないです。240万字だと!長いけど、読み終えたくない、終わらないでほしいという気持ちもあります。
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アリュージョニストの世界観はそのままに、短いお話から入りたい方にお勧めです。平積みの本を買いましたが、僕が買ったのが最後で売り切れなので、かなり、売れてるようです。
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人狼戦記~少女格闘伝説外伝~
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