新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

忘年会とクリスマス、婚活、結婚問題の経済人類学的分析について

◇ 今年も「クリスマス中止のお知らせ」? 独身男性7割「彼女なし」:イザ!


◇ 金がかかるから彼女いらん - ネットゲリラ

 

レストランのネット予約会社「オープンテーブル」が10月に20~30代の独身男女に行った調査では、男性の70.3%、女性の57.5%が「彼氏彼女なし」と回答したという。

今年も「クリスマス中止のお知らせ」? 独身男性7割「彼女なし」:イザ!より

 

◇ この比率の違いは、女性の彼氏が既婚者の40~50代だという考察がある。

昨日と今日と、二日連続の忘年会で、30代後半の友人が20代後半の女性と結婚が決まった話をきいた。

彼は昨年、大変だったのだが、それも踏まえて、そういう決断を下した。

40代前半の後輩は、彼女はいるのだが、彼女に若干の身体的障害(日常生活では無視できる程度)があり、親の反対などもあり、彼も重度のマザコンで親離れができず、このままの状態が続きそうである。


◇ 僕も今年、結婚式をしたけど、彼女と実家暮らし予定で(料理ができないというか、今習ってるらしいが、彼女の希望もあり、経済的面も考えて)、さて、上手くいくかはやってみないと分からない状態です。

僕も3年ほど前は、婚活しても全くダメな高齢独身者で、大体、35歳以上の男女が結婚できる確率は1%程度、40歳超えた男女が結婚できる統計的確率は0.1%ぐらいである。だから、奇跡である。

まあ、ほとんど反則技使ってるのだが。

◇ 今の世の中は、そもそも結婚せずに、内縁関係だったり、不倫とか、そういう人も増えてるし、法律の改正問題も国会で審議されたりする。

そういう人を除いて、結婚したいけど、出来ない人、もしくはしない人の場合、それは双方の『経済的な事情に起因する思い込み』が原因であることが多い。

たぶん、それは親の時代の価値観を引きずってしまうのが原因であるような気がする。

◇ バブルや親の高度成長期の時代の価値観、そういう親を見て、それが当たり前だと思ってる人は正社員志向も強いし、結婚の本質が男性の経済力と、女性の美貌の交換だとしたら(今の時代はそうとも言い切れないが)、非正規の社員が増加し、男性の経済力が低下してる、現在、専業主婦でなく、共働きが基本になりつつある。



◇ 婚活とダイエットに共通する、日本人の歴史的構造的問題 - 新世紀の生き方、物語の世界

以前、こういう記事を書いたけど、江戸時代の都会での未婚率を考えると、まあ、今の未婚率が、むしろ、歴史的には正常に戻ってると言えるし、高度成長期のみんなが結婚して、専業主婦になるという時代そのものが、異常な世界だったことが分かってくると思う。

そんなことを、普通の一般の人が気づくはずもなく、親の価値観を引きずって、心理的思い込みを取り除くなどということが、普通はできるはずもない。

ほとんど無意識に刷り込まれてるものだし、オーム真理教の脱洗脳を担当した苫米地さんでも無理かもしれない。


◇ 解決策は、江戸時代に田舎で行われていた適当な釣り合いの男女を結婚させるお見合い制度であり、そのために、田舎、農村では既婚率が非常に高くなっていた。

ただ、それも、田畑を長男が相続するシステムだと、他の兄弟はそれらを支える下男、下女のような存在となるか、どこかに奉公に出されるかしかなかったようだ。


つまり、非正規、フリーター、ニートのような存在であり、名前が違うだけで、そういうシステムになっていたのだ。

なぜ、ニートが出現したのか考えれば、それは歴史的必然とも言えるかもしれない。

経済のパイが縮小すれば、そうならざる負えないし、そもそも、そういう存在がいない方が異常な時代だったりする。



◇ それに、今の未婚率が生物学的な自然法則(DNAプログラミングによる生理的感覚の支配も含む)に基づくものだとしたら、それが正常値に戻る現象だとしたら、それを止めることは、DNAとか、神とか、自然法則に叛逆するようなものだったりする。

ほんとど『魔法少女マギカ☆まどかの世界』が現実に立ち現われてるようなものである。つまり、奇跡を願うしか、解決するのは不可能なのかもしれないのだ。


とはいえ、そういうことに気づき、割り切り、思い込み、考えを変えれば、何とか乗り越えられる問題でもあるのだが、それは普通の人には不可能かも知れない。

現実をみれば、35歳の以上で1%、40歳以上では0.1%の確立だしね。


◇ フランスの構造主義人類学(クロード・レヴィ=ストロース - Wikipedia)では、親族の構造分析をしてるが、その本質は『女性の交換』という驚くべき結論だったりする。

近親相姦のタブーとかが設定されてるのは、人間の無意識であり、DNAにそういうプログラミングがされ、それは文化構造に埋め込まれていく訳だが、女性を親族内で消費せずに、外部の親族と交換し、自分の親族の力を拡大していくというのが基本戦略になる。

天皇家に嫁入りして権力を掌握していった藤原氏を思い出すといい。政略結婚と呼ばれているが、玉の輿結婚の考えは、結局はそういうことだったりする。



◇ 経済人類学者、栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』などの著作では、人間の快感を司る脳のA10神経のことが語られます。

新世紀エヴァンゲリオン - Wikipediaなどにも出てきますが、元ネタは『パンツをはいたサル』で、エヴァがよく暴走するのは、A10神経が非常に原始的な神経であり、フィードバック機能が弱いという点にあります。

アクセルが強いけど、ブレーキが弱めで、急には止まれないダンプカーでも想像してもらえればと思います。


これが原因で人間は快感に操られ、感情も暴走しやすく、一度、暴走してしまうと、なかなか止められない性質により、何かの怒り、暴力、殺人、紛争、戦争が起こる原因にもなってしまってるという説を唱えます。


◇ ネット上の炎上、発言小町のトピ主叩き、憂さ晴らしが起こるのも、こういう行為が、A10神経を通じて快感に繋がってしまいうとうことにも起因してるのでは?と思ったりもします。

ついカッとなってとか、つい、怒り感じてという、一見、何気ない人間の行動は、もしかしたら、こういう脳のハード的な欠陥が原因かもしれません。


◇ 栗本氏の経済人類学には『過剰蕩尽理論』(かじょうとうじんりろん)というものがあります。

この理論は、文化人類学などで、社会は『ハレとケ』=『非日常と日常』の時空間的な切り替えによって、ダイナミックに動いているという説でもあります。

例えば、社会的タブーとか、ルール、法律というものがありますが、戦争と平和という時空間が違う場合、人を大量に殺す人が英雄になり、それが正義となることもあるし、平時には、殺人はタブーとなり、自衛隊のような軍隊組織は迫害されるようなことになってします。


◇ 一見、矛盾するような出来事ですが、これが『ハレとケ』=『非日常と日常』の時空間的な切り替えによって、ひとつのシステムとして運用されるとしたらどうでしょう?

事実、社会においては、そういう風に運営されてるのですが、戦争や祭りにおいて、平時のタブー、ルールが破られて、さらに価値観の反転が起こるとしたら、それは何のためでしょうか?

それは平時の『ケの時空間』にタブー、ルールを設定することで、祭りや戦争時の『ハレの時空間』では、人間の快感を一気に高める効果があります。

そのために、『ケの時空間』でわざと我慢して、タブー、ルールを作って、『ハレの時空間』では、それを一気に蕩尽(破壊的な消費)していって、快楽を高めるというものでした。

その考え方は、人の死や社会の破壊に至ろうと、それ自体が正当化されてしまうと思います。

そういう仕組みが現実に存在してると考えると、この世に戦争や争いがなくならないことに、何となく納得がいくと思います。

人がセックスや麻薬中毒に陥るのは、こういう快感システムがあるからですが、うつ病リストカットなどの場合も、自分自身への攻撃性という意味で、限界を超えた人が、脳内麻薬物質出して、痛みを和らげるために自己防衛するという仕組みだったりします。


◇ 結論としては、『ハレとケ』=『非日常と日常』=『タブーや善悪の価値』の時空間的な切り替えシステムが社会に存在して運営されていて、人の脳の快感システムによって、それが現実に発動してるのではないか?というのが、『過剰蕩尽理論』ということになっています。

この考え方そのものは、フランスの思想家、ジョルジュ・バタイユ - Wikipedia、 ロジェ・カイヨワ - Wikipediaによって語られたらしいです。

資本主義は富を永遠に蓄積するシステムですが、かつては、蓄積された富は定期的に『祝祭』によって蕩尽、消費され、共同体の絆を深めたり、トランス状態に入った人々が神とか、宇宙とかとの一体感と快感を共有することで、精神的鬱憤、ストレスなどを解消するというシステムとして機能していました。

ところが、資本主義のように、蕩尽、消費を悪として、永遠に利潤とか富を蓄積する社会だと、そういうシステムが働かないために、いじめ、ネット上の炎上(祭りとも言われてます)、暴力、犯罪、戦争のような『蕩尽、消費』が突発的に、より破壊的なものとして起こってしまいます。

資本主義社会で、軍産複合体が戦争を引き起こしてしまうシステムを『戦争経済』といいますが、それもこういう『蕩尽、消費システム』が社会システムとして存在しているので、仕方ないというか、自然法則の必然結果とも言えます。

◇ 栗本氏はそういう『ハレとケ』反転と脳の快感のシステムのことを『パンツ』と名付けて、最初の著書名が『パンツをはいたサル - Wikipediaとなってます。

続編として同社からパンツを捨てるサル」、現代書館からパンツを脱いだサルが本書改訂版と並んで出版された。「捨てる」のほうは再発行されなかった。

パンツをはいたサル - Wikipediaより

 

人類がもっているこういう『無意識の社会システム』(脳の快感システムという生物としての人の性、DNAプログラミングに基づく自然法則、自分の中の80%の動物性)に気づいて、何とか、それのシステムを脱いで、捨て去りたいという問題提起がなされています。

 
◇ いじめ、炎上、結婚、犯罪とか、戦争など、なかなか社会からなくならない問題は、構造的にそういうことが起こっているのではないか?と疑って、対策を立てていくしかないと思います。

というか、神や自然法則に逆らえないのが人間だとしたら、諦めるしかないのでしょうが、何とかそういうことが起こらない仕組みを考案したり、個人の力で個別に乗り越える行動をしていくしかないと思います。

 
という、全く救いのない結論になってしまいますが、まあ、そういうことが起こるのは仕方ない、誰かのせいではないかもしれないよと言っても、慰めにはならないですが。

最後は個人の考え方、思い込みを変えていく、『普通を疑う非常識な思考』でなんとか、乗り越えるしかないと思います。


 

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