新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

ポリネシア、縄文、殷、日本に伝わる巫覡の家系

24時間スーパーハローズで売っていた『雑穀まぜご飯』(田中食品)をごはんに振りかけて食べてますが、ふりかけ風の味付けで、結構、美味しいです。


それで5.稗田阿礼はなぜ作られたか読んでたら、吉備津彦のお母さん(モモソヒメはお姉さん)「ハへイロネ」の謎が解けました。 

この「アレヒメ」は、またの名「ハへイロネ」とあるが、「イロネ」は兄・姉の意である。

「ハヘ」は沖縄の「おもしろそうし」などに出てくる久米島の大巫女、「君南風(きみはへ)」の「ハヘ」である。

『琉球文学発想論』の中で、嘉味田宗栄は、「南風(はえ)」は、琉球では季節の風として、豊作をもたらす風であることから、「ハヘ」を「生(は)やし、栄(は)やす霊力」の意味と解釈する。

そして、この生成を意味する「ハヘ」は、「アレ」と同義と見る。とすれば、とすれば、「アレヒメ」の亦名が「ハへイロネ」であることは当然である。

「アレ」「ハヘ」は巫女を意味する用語であるが、単なる巫女ではなく、神妻・神母のイメージがある。

アレヒメは孝霊天皇の妃となって、ヤマトモモソ姫を生む。現人神の妻となり母となっている。 神妻・神母の代表はタマヨリヒメであるが、『山城国風土記』逸文にある加茂神話の神妻の名も、タマヨリヒメである。

賀茂祭の御阿礼神事で、このタマヨリヒメの役を勤める女性を、アレヲトメという。 西田長男も、賀茂祭のアレヲトメに対して「阿礼は神妻・神母に関する語」とかいている。

御阿礼神事とは、神子誕生の神事であるが、神子をみごもる女性をアレヲトメといい、御阿礼神事の主役である。

このように、アレヒメ・アレヲトメの呼称は、巫女(神女、神妻、神母)を意味する言葉と考えられるが、それは猿女たちの職掌であることからして、稗田の姓に阿礼という名がつくのが、もっとも自然なことといえるのである。http://www.geocities.jp/yasuko8787/o-067.htm

 

 

倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)

「紀元前88年には、四道将軍の一人、大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、的中させている。』http://ja.wikipedia.org/wiki/倭迹迹日百襲媛命

 

孝霊天皇の奥さん「ハへイロネ」が、なぜ、沖縄の久米島の大巫女の血を引いてるのか?は謎ですが、やっぱり、天皇家は九州の日向とか出身で、神武東征はある意味、史実であると推測できます。

後に、その子供のモモソヒメが三輪山の蛇神『大物主』(出雲の大国主神と関係してる)の神妻になったり、謀反を予言して、天皇家の危機を救ったという事例の説明もつくと思われる。


賀茂祭の御阿礼神事で、このタマヨリヒメの役を勤める女性を、アレヲトメという。http://www.geocities.jp/yasuko8787/o-067.htm


ここで下鴨神社上賀茂神社のお祭りが出てくるのですが、賀茂氏から、修験道役小角、安倍清明の陰陽師の師匠、賀茂忠行、忠行の5代前の賀茂吉備麻呂などが出ています。

忠行の出自はよく分からないのですが、続群書類従に掲載された系図では、忠行の5代前に賀茂吉備麻呂という人がいて、時々これを吉備真備(在右大臣766-771)と混同する人がいますが、無関係のようです。吉備麻呂は孝霊天皇の血筋を引いているともいわれます。(確かに孝霊天皇皇子の稚武彦は吉備臣の先祖とされていますが)
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo03.htm

(解説)孝霊天皇皇子の稚武彦は、吉備を平定後、吉備津彦と呼ばれる。桃太郎のモデルであり、温羅(うら、百済の皇子説あり)という鬼(鉄の技術を持つ製鉄民は鬼と呼ばれる。鬼は金棒を持っている)を退治した。が、真実は鉄目当ての侵略戦争の可能性が高い。昨日、テレビでやってたが、京の藤原不比等の一族とつながってた東北の藤原3代が滅ぼされたのも、東北の金目当ての侵略戦争だったようです。中尊寺金色堂の金と、奈良の大仏の金の産地は、同じ宮城の鉱山です。藤原氏が京の政界を追われ、東北に逃げて以降、いろいろいちゃもん付けられて攻められたのが真相です。東北は縄文時代からアスファルトを接着剤として使ったり、大仏の特殊な金めっきの技術を持ってたり、超先進文明の国『日本』と呼ばれていたようです。当時の大和朝廷は『倭国』です。


同じ時代に吉備真備も出てるのですが、吉備氏の祖が、孝霊天皇や吉備津彦なのだから、これも、ほとんど同族だと思われます。というか、陰陽道の開祖は吉備真備だし、何らかの関係はあると思われます。


あと、徳川家康の腹心、参謀の本多正信賀茂氏の一族です。それで、徳川家の葵の御紋は、元々、賀茂氏の御紋で、賀茂神社の祭りが『葵祭り』と呼ばれるのは、当然と言えば、当然です。本多正信が『茎はダメ、葉はいいよ』と言ったとかw

ある時、徳川家康本多正信に「あの家紋を譲ってくれないかな」と言った所、家康にタメグチを利ける数少ない一人である正信は「それはおかしなことを。徳川家は元々新田一族。本来なら新田の一つ引両をお使いになるのがよろしいのでは。本多は賀茂神社に仕える身にて神社の神紋たる葵を使っております」といって頑として譲らなかったと言われます。また異説ではこの時「茎までは譲れません」と言ったため、徳川の葵は茎の無い葉だけの葵紋になったともいわれます。http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/kamo/kamo04.htm

 

 

本多正信は、一向宗の件で、徳川家康と敵対したにも関わらず、放浪の旅の末に、徳川家に帰参し、その時、家康は涙を流して喜んだといいます。黒田官兵衛のような参謀でもあり、莫逆の友、師匠のような存在だったようです。結構、毒舌だったと思われます。このあたり、

で有名な小説家、隆慶一郎
影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)

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影武者徳川家康〈下〉 (新潮文庫)

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影武者徳川家康〈中〉 (新潮文庫)

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を読むと面白いです。


話がそれましたが、賀茂家と孝霊天皇、皇子の吉備津彦などの家系がどうも関連してることが伺えます。巫女の家系つながりでしょうね。


それで、巫女の血筋は、アイヌ、沖縄に象徴される縄文人の文身(刺青)の習俗は、卑弥呼の邪馬台国の習俗、九州、吉備の隼人の習俗でもあり、古代殷王朝の習俗でもあります。というか、元々、東南アジアからポリネシアの習俗でもあります。


出雲神話のイザナミ、イザナギ神話にでてくる『呪的逃走』譚=櫛などを投げて、悪霊などの追跡から身を守る方法は、ポリネシア全域に同じような神話があるそうです。この『呪的逃走』譚を描いて、現代に甦らせた、諸星大二郎のマンガ

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という名作もあります。

タトゥーの起源はポリネシア


話を整理すると、ポリネシア辺りの海洋民族(刺青、『呪的逃走』神話をもつ)の末裔が、殷や縄文時代の日本にもいて、殷では、甲骨文字など発明して、王の神官(巫覡、女性の巫女が『巫』、男巫が『覡』)とかのやってたようです。

その一族は雨乞い、甲骨文字使った卜占で、王家の葬祭、呪術全般やってて、儒教などの文献も実は葬祭の記述が大半だったりします。『儒』って、雨乞いをしてる人という意味だと、白川静氏も言っています。


孔子は巫女の私生児で、そういう巫呪の家系だったりして、『怪力乱神語らず』とは言ってますが、夢の中で、周公旦(周の聖王)に会って、教えを受けたりしてるし、お前は『カルロス・カスタネダか!』(南米の有名な呪術師、本も出してますw)と突込みを入れたくなるほどの夢見の技法の持ち主であります。

ドン・ファンの教え (新装版)

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藤原不比等は、やっぱり、史(ふひと)で、少年の頃に、京都に来ていた百済系(殷の巫呪文化受け継ぐ)の巫呪の中で王家の歴史などを記述する『史(ふひと)』の家に預けられて、その名の由来になってるようです。で、百済系の史(ふひと)集団を駆使し、古事記、日本書記編纂の黒幕と呼ばれています。


賀茂氏もおそらく、百済系か、それ以前に縄文から日本に移住していた巫呪の家系で、孝霊天皇の皇子の吉備津彦は、温羅伝承(うんらでんしょう、桃太郎の原型のお話)によれば、吉備の温羅征伐のため吉備に来て、統治のために、そのまま移住し、吉備氏の祖となります。



吉備津彦、百襲姫(ももそひめ)、孝霊天皇はの王妃が、巫呪の家系であり、そこから吉備氏が生まれたとしたら、吉備真備、賀茂吉備麻呂が生まれたのも頷けます。

 


鴨吉備麻呂 - 719年(養老3年)7月13日に、備前国美作国備中国淡路国の4国を管し、国司の行政の監察を行った。南海道節度使

百済王敬福(くだらのこにきし の きょうふく) - 761年(天平宝字5年)に、紀伊・阿波・讃岐・伊予・土佐・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防など12カ国の軍事権を掌握する役目に任命される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉備国


そして、吉備真備陰陽師の開祖だし、賀茂吉備麻呂の子孫が、賀茂忠行で京に現れ、安倍清明の陰陽師の師匠となる訳です。


陰陽師の安倍氏については、吉備真備と共に遣唐使となって、中国の皇帝に気にられて過ぎて、帰郷できなかった阿倍(安倍)仲麻呂の子孫が、安倍清明ではないか?説もあったりします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%80%8D%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82

 

岡山にも京都の賀茂神社と関係してる、加茂神社がありますが、備前、吉備などには、賀茂氏の荘園が多数あり、関係深かったというか、吉備と京都の行き来がかなりあったのかもしれません。当時、吉備の国は国際都市で、百済系のみならず、渡来人のるつぼだったらしです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%8C%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE



吉備津神社の宮司の賀陽氏と、賀茂氏の関係があやしいですが、『陰陽道閑話~野良の陰陽道研究者がゆるーくお話をします。 』を読みながら、また、考えてみます。
http://ch.nicovideo.jp/onmyoudo-kanwa


 

呪の思想―神と人との間

呪の思想―神と人との間

を読んでいたら、こういう世界が見えてきたんですが、それにしても、これは凄い学者だなと思います。

ここ数年の疑問が、一瞬で一気に解けました。まだ、見えないものも多いですが、徐々に解き明かしていきます。