新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

日本人病仮説、いい加減に生きられない人々

◇ 35歳以上で未婚の人、小保方さんや偽ベートーベン事件が気になる人々、この世に正義があると思ってる人々、炎上に参加してしまう人、自殺してしまう人など、そういう人に共通する症状として、「日本人病」というのがあるのではないかと思う。

僕自身もこういう病気を持ってるとは思うが、この弊害が最近、目立ってきてるように思う。

特徴としては完癖主義、白黒思考というのがあり、これは心を病んだり、生きづらいと思ってる人に多い。

完璧主義(かんぺきしゅぎ、Perfectionism)とは、定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者perfectionist)と呼ぶ。その程度(時間に対する気配りや周囲への迷惑を顧みない状態等)によっては、精神医学では精神疾患のひとつともされることも多い。

(中略)

問題点と症候群

自身の理想に追いつけず、妥協も出来ないまま悩みとして抱え込むケースも多い。完璧主義の人は、完璧にこだわっているわけだが、当人の人生全体を大局的に見ると、本人がこだわって目指している状態とは正反対に、人生が破綻してしまっている人も多い。また、様々な精神病理を引き起こすことが多いことが知られている。

例えば、完璧主義の人間には、先延ばしの泥沼に落ち込んでしまう人もいる。「完璧にできるようになるまで人前で(評価する人の前で)見せたくない」「完璧な点数がだせるようになるまで○○に参加したくない」などという思いにとらわれて、最初の一歩が踏み出せなくなるのである。結果として経験や練習することが少なくなり、なかなか技量が上がらず、本当の実行の段階には永久に移れない、といった悲劇も起きる。また、他のもっとおおらかな人たちが、たとえ質が低くても気にせず気軽に第一歩を踏み出し、失敗することすら楽しみながら経験を重ねて、結果として無事に技量を上げてゆくのを、完璧主義者は指をくわえて眺めつづけて、自分自身を責めることになることも多い。またその意識ゆえに、自己の成し遂げた仕事等に過度な評価を求める傾向が比較的あり、俗に言う「恩着せがましい」と評される人も少なくない。

完璧主義者は大局的に見ると生産性が落ちることが多いことも知られている。すなわち、局部的な完成度の高さにこだわるあまり、大局的な状況を見失ってしまい、結果的には大局的な生産性が落ちてしまうような行為の選択をしてしまうことが多々ある。

認知療法を創始したアルバート・エリスは、すべてのことを完璧に実行しようとする心理を「非合理信念」と呼んだ。

昔から、全てを完璧にやり遂げる事が求められていると思い込んでしまう人はいる。

だが一般に、いまだかつて全てのことを完璧にやりとげた人間などはいない、と言われている。現実を冷静に見つめることができるならば、そうなのである[2]

実際には、人間の人生にはどうやってもできないことは多々あり、そういう場面では、自分にはやれないということを理知的にも心理的にも受け入れることが大切であり、大半の人はそれをうまく受け入れることで精神的・物理的な破綻を回避している。ところが、完璧主義者はそれを受け入れることができず、自分で自分を心理的に追いつめていってしまい、責任の転嫁や逃避といった、言動や行動としても破綻してしまう傾向が強い。

確かに、一部の人(教師、上司、親など)が追い詰められて他人にヒステリックに完璧を求めたりすることがあるが、たいていの人は、そういう要求を話半分に聞いたり、適度に聞き流したり、聞いたフリだけして要領よく切り抜けることで、完璧主義に陥らないようにしている。

完璧主義者は、自己嫌悪に陥る人が多い。また、強迫性障害摂食障害などを併発する人も多い。

(中略)

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 例えば、日本高度成長期をなしとげ、日本製品がその品質で世界から高く評価されるまでに至ったのも、適材適所のノウハウを知っている経営者たちが、完璧主義的な性質を持つ職人をうまく活用していた、という面もある。ただし、経営の領域にこのような完璧主義的な(職人気質の)人間を参加させたりすると、ひどい困難にみまわれたり、経営破綻を引き起こすことが多いことは知られている。経営というものは部分的な業務をどれだけ犠牲にしてでも全体がほどほどのレベルで存続できることを選択しなければならない場面が多いからである。完璧主義者には、経営者的な臨機応変の妙技を理解・体得することが困難なのである。
  2. ^ *1 例えば、大人を例にとると、会社の仕事を最優先にしそれを完璧に行おうとする人は、残業が多くなりがちで、家庭がおろそかになりがちなる。学生ならば、勉学を完璧にしようとすると、運動のほうは苦手になったり、人付き合いが悪くなったり、様々な実体験が不足したりする。また、知識の習得に限っても、人類の全知識を知っている人もいないし、音楽でも、あるジャンルに精通していれば、他のジャンルは手薄になり不得手になる。さらに、スポーツでも、サッカーに上達しようとそれに集中すると、野球は凡庸になる。ひとりひとりの人間の持っている時間は有限だから全部は完璧にできない。
    また、もっと深い問題もある。たいていの場面で、いわゆるジレンマは起きている。例えば人間関係の対処のしかたを例にとっても、夏目漱石が「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」言ったように、どのような態度をとっても、それなりに負の面がつきまとい、問題点がある、ということは人生には多々ある。森鴎外も、エリートコース上にいる自分を守ろうとしたところ、ドイツの女性を見捨てて帰国せざるを得なくなり、ひとりの人間・男としては問題を残し、鴎外の人生は"完璧"ではなかった。だが、その反対の選択をしたとしても、やはり森鴎外の人生は問題が多い人生となったであろう、ということは評論家からしばしば指摘されている。例えば、子供の状態でも、"何でもソツなくこなす子供"は、ある角度からは立派なようではあるが、一方で "かわいげの無い子供"になってしまっているという点で完璧ではなくなる。大人であれ、子供であれ、皆ジレンマの中で生きているわけである。

完璧主義 - Wikipediaより

 


白黒思考とは、世の中にはグレーゾーンというものがあり、そのあたりは暗黙
の了解であいまいにしておく方が平和な場合がある。


白黒思考

白黒思考 (black-and-white thinking) は誤った二分法の典型的形態である。例えば、物事がうまく行っているうちは無条件の楽天主義で、初めて挫折したときに全くの悲観主義に陥るといったことがよくある。また、他人を「いい人」と「悪い人」に無意識のうちに分類するなどといった傾向もこれに当たる[3]

Falsus in uno, falsus in omnibus[編集]

これはラテン語の格言で「1つにおいて誤りならば、全てについて誤りである」という意味である。誰かがある問題を間違ったとき、他の問題も間違うだろうという意味で使われる。一般にある面で能力が欠けていても、あらゆる面で無能ということは言えないので、これは誤謬である。これは人身攻撃の一種であり、関連性の誤謬の特殊ケースでもある。

他に選択肢はない[編集]

他に選択肢はないという主張は、両極端だけを選択肢とする誤った二分法の例である。その場合、選択肢はそう主張する人の提案だけにしぼられる。もちろんその話者は他の選択肢がないと信じているわけではなく、それについて議論したくないというだけのことが多い。代替案に反対するというよりも、代替案の存在そのものを否定することでそれらを無効化しようとする。

マーガレット・サッチャーはこの言葉をスローガンとして使ったことで知られており、そのために TINA (There is no alternative) という略称まで生まれた[4]

誤った二分法 - Wikipediaより

 

 

必要悪などという言葉もあり、白黒はっきりさせたいという考え方は時に病的になる。

ネットの炎上などはこれが尖鋭化したもので、小保方さんや偽ベートーベン事件もそれが顕著に表れている。

 

◇ 完癖主義は、これが結婚相手に求める理想になれば、35歳以上で未婚という結果になる。

普通は適当なところで手を打つもので、70%ぐらいの人はもう結婚してる。

 

ある程度年齢いって、頑なに結婚したくないと思っているどころかむしろ結婚したいなんてぼやきながらも1回も、結婚したことがない人がいる。実はそういう人には男女ともに共通の特徴があるのを知ってるかしら?

実は、『恋愛の延長で結婚をしたいと思っている』っていうところなの・・・。あらっそんなの誰でも恋愛して好きな人と結婚したいって思うのは当たり前じゃない!!って思うかしら?でもね、そういう夢見る症候群の人って、“結婚する”っていうのは、凄く好きな人が現れて・・・みたいにどこかしらで思っているのよね。

つまり、『結婚したい!!って思えるぐらい好きになれる人が現れるはず』って信じてるのよね~。

でも実際結婚するのって、タイミングだったり、勢いの方が大きかったりするのじゃない。なんとなく長く付き合ってそろそろ結婚かな~っていう時とか、お互いが既に結婚したいモードで出会って、そのまま勢いにのって結婚とかね。

心のどっかで『結婚したいと思える人に出会えないかな?』って思っている人は、なかなか結婚どころか、付き合うことにすら躊躇してしまいがち・・・(涙)この人は結婚したいほどすきじゃないから、付き合うだけ時間がもったいない…とまではいかなくても、デートの度にここがちょっと…あそこがちょっと…って完璧を求めるがあ故にだんだん幅が狭くなってきてしまうのよね。


結婚できない人の特徴!?男女ともに夢見る症候群にご注意
より


◇  35歳からの非モテの婚活と国際結婚


僕はこの問題を解決できたので結婚できたのよね。


何か正義や常識にこだわりすぎれば、それが炎上事件となる。

ステマというものがあるが、そもそも口コミ自体が全部ステマのようなものだしね。

これらを総称して、「日本人病」と名付けてみる。

 

 ^ 例えば、日本高度成長期をなしとげ、日本製品がその品質で世界から高く評価されるまでに至ったのも、適材適所のノウハウを知っている経営者たちが、完璧主義的な性質を持つ職人をうまく活用していた、という面もある。ただし、経営の領域にこのような完璧主義的な(職人気質の)人間を参加させたりすると、ひどい困難にみまわれたり、経営破綻を引き起こすことが多いことは知られている。経営というものは部分的な業務をどれだけ犠牲にしてでも全体がほどほどのレベルで存続できることを選択しなければならない場面が多いからである。完璧主義者には、経営者的な臨機応変の妙技を理解・体得することが困難なのである。

完璧主義 - Wikipediaより


つまり、完癖主義は高度成長期などに、製品の品質を高めることで日本の強みとなってきた。


だが、グローバルな時代になってきて、その強みの負の側面である完璧主義=全体のバランスの悪さ=戦略性のなさが露呈してきているといえる。

1.過度な「群れ意識」を持ち、命令に従う習慣がある。
2.個人間の関係は驚くほど誠実なものである。
3.日本人は完ぺき主義者であり、極端なほど秩序にこだわる。
4.手作りが好きである
5.チームワーク意識が強く、身内だけでやるような家族企業の管理に長けている
6.外国のものには、開放的で、広く受け入れるのに対し、外国人に対しては排他的である
7.イデオロギーが軽薄で頼りない。
8.感情的で好戦的である。
9.外交・経済政策において、戦略性に欠ける。
10.合理性に欠ける。
11.政府の力が弱く、派閥争いが目立つ。
12.道徳観念は根本的に恥を重視し、罪悪感は重視されない。
13.日本人は法律が嫌いである。


西洋人から見た日本人の13の特徴「完ぺき主義者で従順」(1) 2010/07/27(火) 15:15:29 [サーチナ]
より

 

◇ 日本人が世界で勝てなくなってる理由、STAP細胞報道から見えてくるもの - 新世紀の生き方、物語の世界

◇ 小保方批判は戦術的には正しいが、国家戦略的には大間違い - 新世紀の生き方、物語の世界

 


◇ 解決法は他人に寛容で、自分対していい加減に生きればいいだけです。

いい加減=よい湯加減とでも捉えてもらえたらいいです。

ちょうどいい塩梅とかニュアンス的に近いです。


「日本人病」の方は「いい加減=悪」(白黒思考)と思ってるが、世の中、いい加減のかたまりである。

「落としどころ」という言葉があるが、適度なところで妥協点を見つければいい。

グレーゾーンを敢えて残して、あいまいにしとおくことも大事で、そのことによって相手を追い詰めることが少なくなって、自殺者や精神疾患が減ります。

 
自殺者3万人とか、完癖主義が自分自身に向かうとそういうことになります。

8.感情的で好戦的である。
9.外交・経済政策において、戦略性に欠ける。
10.合理性に欠ける。
11.政府の力が弱く、派閥争いが目立つ。
12.道徳観念は根本的に恥を重視し、罪悪感は重視されない。
13.日本人は法律が嫌いである。

西洋人から見た日本人の13の特徴「完ぺき主義者で従順」(1) 2010/07/27(火) 15:15:29 [サーチナ]より


小保方さん、偽ベートーベン、ネットの炎上事件などにおける集団的ヒステリー状態は、価値観が錯綜するグローバル社会に対して日本人が不適応になってる状態を示しています。

 
つまり、何を根拠にどうやって生きたらいいのかわからない、人生戦略の欠落により、日本人がおかしくなっている状態と言えます。

倫理とか、道徳、正義、常識とかで行動規範を確認してるということかもしれません。

高度成長期のように「真面目に働けば幸せになれる」などのはっきりした戦略(戦術かな?)が示されると、日本人は強いと思います。

が、熊手などに8億円使うとか、もう政治にお金がかかるのはわかりきってるのに、それぐらい察してそっとしておけばいいのに、どうでもいいことを批判しても仕方ないだろうと思うのです。子供みたいに。


小保方さんの件とかでも、世界に対して恥とか、どうでもいい恥意識に終始し、悪意があったかなかったか?という重要な問題はスルーし、科学は仮説であり、間違いは常に起こるのにそれを許さず、見守る度量もなく、世界的な科学の国家戦略があるわけでもなくというのでは、ただの集団ヒステリーとかしか思えません。

欧米ではそういう失敗こそ賞賛されるし、何度でも再チャレンジができる社会風土があります。

日本人よ、そろそろ病気の子供やニートは卒業して、大人になりませんか?

少しは成長しようよ!


僕がブログなどで書いてる記事、気になってることは、どうも共通の問題点があったようで、 今日、それがようやくわかってよかったなあと思った。


 

 

 

 

*1:補注