新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

私的思い込み→常識教育型の炎上考察、「感謝」と「祭礼」の本質について

◇ 「ありがとう」「ごちそうさま」はお手軽で無料のマジカルワード - 斗比主閲子の姑日記

◇ 牛丼屋で「ごちそうさま」と言う行為は低所得者?ネットで物議|| ^^ |秒刊SUNDAY



「私的思い込み」も「炎上が何故、起こるのか?」という考察も、実は僕の長年のテーマだったりします。

「炎上」については最近ですが、社会の不満を、ある人物が「人身御供」になることによって解消するというシステムなのかな?と思ったこともあります。「いじめ」という社会システムは、不満解消のために誰かを犠牲にするという点で、常に社会問題化しています。

なんですけど、今回の場合は、私的思い込み→常識教育型の炎上だと思います。

これ、炎上というより、普通の常識的反応というか、別に批判でさえないといいますか、普通のことを普通に言ってるだけというブログの言及が多いですね。感想を言ってるだけというお話です。


◇ ただ、事実として炎上してしまってるし、そういう常識的なレスが大量になると、本人はびっくりするし、体験した人しかわからない脅威があると思います。

小心者の僕の場合は、ブログのアクセスが千~万単位/日ぐらいになったぐらいでも、びっくりします。アクセス解析を見てしまいます。

人間、私的思い込みは無数にあるし、ツイッターは文字数が少ないので、誤解が生まれやすく、リツィートによって最速で拡散する最強ツールだし、バカッター(バカ発見器)とも言われてるので、気をつけていても、失言は防げません。僕もたまにしますが、一面的な発言になってしまい、誤解を生みやすく、フォローしにくいメディアだと思います。

Twitterは、ネットの世界では、「バカッター」「バカ発見器の最高傑作」とも呼ばれています。最近は店の従業員が悪戯を公開(バイトテロ)する行為が目立っています。

故意で業務を妨害させようとした場合には「刑事責任」となります。

また、ツイッターにより被害を受けた企業は、民事訴訟によりツイートした相手に支払いを請求することができます。

  • 休業分の損害
  • 失った信用の損害

後で「釣り(ネタ)でした」と書き込んでも、本名を調べあげられ関係者に通報される事があります。世界中の人が見ている事を認識しましょう。

 

【バカッター】【馬鹿発見器】twitterでの炎上による逮捕者(書類送検者)まとめより引用

 

◇ ここまで書いてきて、やっぱり、「社会の不満を、ある人物が『人身御供』になることによって解消するというシステム」的側面もあるかな?と思ってきました。

最初の理由はごく常識的な反応ですが、それが拡散していく過程で、その人の個人的感情が出てきて化学反応が起こってるように感じます。

発言者の態度の「上から目線」「分析的な書き方」も追加燃料だし、僕のようなブログの書き方もちょっとダメだなあと思ったりもします。分析しすぎ、特に女性には嫌われます。


◇ 「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は、日本人なら習慣化してるので、深く考えるまでもなく、言ってしまうと思います。常識的行動だし。


ああ、そうか、こういう日本人独特の同調、均質化していく思考も、炎上の原因のひとつかもしれない。

そこから外れてしまうと修正が入るというか、警察が出るまでもなく、自浄作用で炎上案件が周囲の無数の発言によって修正されていくという現象があります。


◇ 「ごちそうさま」などの言葉がいつごから定着したのか?ですが、江戸時代後半ぐらいらしいです。

「ごちそうさま」=「ご馳走さま」ということで、「馬で走り回って食材を集めて、歓待された事への感謝を表す言葉」だそうです。

おそらく、それ以前も同じような言葉はあったのじゃないかと思います。


礼儀、礼の本質は自分を生かしている何者かへの畏敬であり、思いやりや心遣いを形にしたものが「礼」のようです。

神社などの拝礼では「二拝二拍手一拝」が基本ですが、やはり、「形に心を込める」というのが重要なポイントになってます。

『祭礼』という言葉もあるように「炎上=祭り」「礼=礼の教育」と解釈すれば、今回のような「私的思い込み→常識教育型の炎上」は『祭礼』そのものかもしれません。

 

「まつり」は、超自然的存在への様式化された行為である。祈願、感謝、謝罪、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われた(祭祀の段階)。祭祀は定期的に行われるとは限らないが、年中行事や通過儀礼と関連して定期的に行われるものが多い。このことによって、「まつり」は、日常生活のサイクルと深く結びつき、民俗学でいう「ハレとケ」のサイクルのなかの「ハレ(非日常性)」の空間・時間を象徴するものとなった。社会的に見れば、共同体全体によって行われ、共同体統合の儀礼として機能した(祭礼の第一段階)。共同体が崩壊し、都市が出現すると、都市民の統合の儀礼としての機能を強め、宗教的意味は建前となり、山車の曳行や芸能の披露といった娯楽性が追求されるようになった。「まつり」を行う者と、「まつり」を鑑賞する者の分化が生じた(祭礼の第二段階)。大衆統合としての機能と娯楽性のさらなる追求の結果、元来の宗教的意味は、忘却され、あるいは機能を喪失し、世俗的な催事としての「まつり」が登場した。

 

祭 - Wikipediaより引用

 

栗本慎一郎の経済人類学的考察によれば、縄文時代の『祭り』は共同体の構成員の意識の共振現象で、炎や光りの点滅、祭礼音楽などの活用によって、巫女がトランス状態になり、人々の意識や脳の同調&シンクロを生み出すシステムだったのではないか?と言われています。

ポケモンアニメと光過敏性てんかん事件というものがありましたが、光の明滅が人間の脳に何らかの影響を与えてしまうことは知られています。

それを逆用して、共同体の人々の脳の共振現象を引き出すのが、祭りのひとつの役割だった可能性はあると思います。栗本慎一郎の著書『縄文式頭脳革命』参照。


ちょっとトンデモ的な本かもですが、真摯で面白いです。人が誰かと本当に共感するためには、脳の共振と引き込み現象があるんじゃないかという話もでてきます。

 

縄文式頭脳革命

縄文式頭脳革命

 

 

『祭礼』は共同体の無意識的『共同幻想』(常識やルール)のアップデート、意識の統一を行うシステムじゃないかと思います。


『常識』というのは日々変動してるし、そういう乱れを修正しようと動きが『炎上』かもしれません。


共同幻想』は戦後の偉大な思想家『吉本隆明』氏の著書『共同幻想論』参照してもらいたいが、難しいので、解説本を。

 

吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木)

吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木)