新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

『風立ちぬ』と、小説が書けなくなる理由の関連性

◇ 町山智浩さんの『風立ちぬ』の解説が深かったので書き起こしました。

◇ 賛否両論、タバコシーンから「風立ちぬ」を考察する

はてなブログ、どういう方向性で書いたらいいのか、ちょっと、迷っています。
それは、僕が小説を書きたいと思っていても、書けない理由と関連してます。

宮崎駿監督の最新アニメ映画『風立ちぬ』ですが、上のリンクの解説を読んでもらえば、わかりますが、宮崎監督の妄想を映画化したものらしいです。


だいたい、ゼロ戦を開発した堀越二郎に結核の恋人はいなくて、実は『風立ちぬ』という小説の作者、堀辰雄の奥さんが結核で亡くなったようで、このお話自体が、フィクション的であるし、宮崎駿監督の妄想世界ということになります。

それで、宮崎駿監督の他のアニメ作品も、宮崎監督の妄想世界です。

そもそも、映画とか、小説、芸術作品は、私的で個人的な妄想そのものです。
それが何故か、観客や読者と共有され、共感を生むことになります。

そういう作品は、結局は個人の私的な妄想世界を反映してるのだから、『他人が読んで、果たして、面白いのだろうか?』という問題がつきまといます。

書いてる本人は、楽しいのですよ。
自分の書いた小説の名シーンで、涙がボロボロ流れたりするのですよw


でも、こんな小説、他人が見ても、面白くないだろ!という思いが、小説の発表をさまたげる訳です。

で、死んだ後に作品が沢山見つかって、実は名作だったとかw、面白いとw言われてしまう宮沢賢治みたいな人も出てきます。生前の作品もそれなりに評価されてたみたいですが。

あと、現実の生活の方が大変だったり、色々と人生イベントが目白押しだったりで、小説など書いてる暇もないとかもあります。

でも、ブログを書くのは、すいすいできちゃうので、その辺りが七不思議でもあります。


で、こういうネタ的な前振りで、読者を楽しませた後に、おもむろに、自分のどうでもいい個人的な話を書くというスタイルがいのではないかと、今、思いつきました。ちょっと、詐欺的ですが、これしか両立の方法はないかなあと思います。

 

例えるなら、芸能人水泳大会で、ポロリもあるよ!という感じでしょうか。

または、水戸黄門における由美かおるの入浴シーンみたいなものは必要ということでしょうね。

何か話がぐだぐだになってきたので、このあたりでやめます。

風立ちぬ (集英社文庫)

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