マレーシア航空、セウォル号、STAP細胞事件の背後に米国の影?
◇ マレーシア航空機MH370便不明事件のまとめ - ニュースの真相
◇ セウォル号乗員の全員逮捕と船尾と船底の傷 - ニュースの真相
◇ "STAP細胞" - 記事一覧 - 新世紀の生き方、物語の世界
僕も、昔、ニュースブログなどやってましたが、やってる間に不可解な事件とか、共通点がある事件が見えてきたりします。
今回の一連の事件には米国の影がちらついてるという話もあります。
不明ボーイング機、米国の指導でディテゴ・ガルシアに着陸?
失踪したマレーシア航空のボーイング機は米国に捕まえられ、ディエゴ・ガルシアの米軍基地に着陸させられたとの浮説が流れている。
同基地は重量級爆撃機を収容可能なものである。
それによれば米国は、乗客の中の20人の中国人に目をつけていた。彼らは中国の研究者だった。最近彼らは飛行機を100%見えなくする技術で特許をとっていた。この技術の創案者を確保するために米国がボーイングを掠奪した可能性も排除されない。
Vesti.ru
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_03_30/270431538/
セウォル号沈没 残りの乗組員4人を逮捕
韓国で旅客船が沈没した事故で、捜査当局は乗組員4人を新たに逮捕した。これで船の運航にかかわった15人全員が逮捕されたことになる。
捜査当局は26日夜、セウォル号の乗組員4人を、乗客を救助しなかった疑いなどで逮捕した。
逮捕された乗組員「責任を果たせなかったことを遺族の皆さまにおわび申し上げる」
セウォル号の沈没をめぐっては船長など11人がすでに逮捕されており、これで船の運航にかかわった15人全員が逮捕されたことになる。一方、潮の流れが速まっていることなどから、26日の行方不明者の捜索は4時間余りしか行えなかった。
捜索関係者は、障害物に遮られているため船を引き揚げない限り、捜索が困難な区画もあると話している。
< 2014年4月27日 7:57 >
http://www.freezepage.com/1398731277DCRGHOPUCJ
▼韓国船沈没事件:今度は船底に傷が見つかったという新情報です。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201404/article_275.html
つまり、セウォル号沈没事件には米国の潜水艦が絡んでいて、日本でもかつて米国の潜水艦に当て逃げとか、当てられて謝罪してもらったりしてますね。
えひめ丸事故(えひめまるじこ)とは、2001年2月10日8時45分(日本時間)、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事故[4]。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡し、救出されたうち9人がPTSDと診断された。
概要[編集]
愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸(499トン)が浮上した米海軍所属のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、エンジン周辺を損傷、5分程度の間に沈没した[5]。えひめ丸側35名の乗務員の内9名が死亡、衝突の際に海上に投げ出された26名は救出されたが、その内の1名が鎖骨骨折、11名が軽傷を負った。
この事故の際、浮上以前からソナーでえひめ丸の存在に気付いてはいたが、グリーンビルは民間人16名を乗せており、グリーンビルのクルー等はこの民間人の対応に追われて、ソナーによる確認作業が等閑になっていたとされ、それ以外のいくつかのミスが事故の原因とされている。また事故後、グリーンビルは現場海域に留まったものの、同乗の民間人に配慮して積極的な救難活動を行わなかったとする非難の声がある。しかし、衝突当時周辺の海はかなり荒れており(波高3-6フィート)、潜水艦が積極的な救助活動を行うことは難しかったとアメリカ海軍は主張している[6]。
えひめ丸事故 - Wikipedia
米原潜当て逃げ事件(べいげんせんあてにげじけん)とは、1981年4月9日に発生した、日本船籍の貨物船に対する当て逃げ事件である。日昇丸事件(にっしょうまるじけん)ともいう。
本事件で被害を受けた貨物船は愛媛県北条市(現在は松山市に編入)の海運会社が所有していた。なお、後年に起きた同様な事件(えひめ丸事故、2001年)における被害船も、愛媛県にゆかりのある船(県立高校の実習船)であった。
事件の様相[編集]
1981年4月9日、鹿児島県沖の東シナ海に浮かぶ下甑島付近、佐世保から南南西約110カイリを、神戸港から中華人民共和国の上海に向けて、日本の忽那海運所属の貨物船日昇丸(2350t)が航行していた。
午前10時半ごろにアメリカ海軍所属のジョージ・ワシントン級原子力潜水艦ジョージ・ワシントン(USS George Washington SSBN-598、現在同名の原子力空母ジョージ・ワシントンが就役中)が海中から浮上したため衝突した。日昇丸は船底を破壊されたため、15分で沈没した。一方のジョージ・ワシントンはセイル部分を僅かに損傷したのみで、自力航行に支障が無かった。
しかし原潜は日昇丸乗組員の救助活動をせず、現場を立ち去った。この結果、日昇丸の乗組員から船長ら2名の死亡者がでた。残りの乗組員13名を救助したのは日本の海上自衛隊の護衛艦あきぐもとあおくもであった。なお米海軍側は事故報告書において濃霧と雨のために日昇丸を発見することができなかったと説明している。
米原潜当て逃げ事件 - Wikipedia
こういう事件の場合、救助活動がされないという共通点があり、今回も目撃者を減らすために、船員に子供たちを見殺しにする指示が出された可能性もあります。
艦底部の子供たちに待機命令をだし、意図的に殺害した可能性もでてきます。
潜水艦なのに海が荒れたぐらいで(潜水艦は沈みませんwというか沈むのが仕事w)、何故か救助活動ができない米軍にたいして、いつも活躍する自衛隊の艦船というパターンもおなじみです。
◇ (新) 日本の黒い霧
◇ 日航機墜落事故翌日の朝日新聞夕刊トップ記事は「生存者8人」
◇ 【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた - 原発問題
日航機墜落事件にも謎が多く、当初生存者は8名とか200名説もあります。
アメリカ軍、ソ連、自衛隊を含む空中戦、陸上戦があったとされ、乗客は火炎放射器で殺害された説まであります。医療用放射性物質を貨物として積載していたとされますが、核ミサイル、水素爆弾の使用も噂されています。
少なくとも、取材陣の写真によれば、生存者は4名以上いたのに、何人かの行方不明になっています。
事故当夜、現場の上空まで行っていた!!
遭難者を救助する前に、
自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか?
http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html より(抜粋引用)
この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?
2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。
さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。
実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。それゆえ、私は、正直に問いたい。
中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!
何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。
そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!
加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!
第一、あなたは、事故当夜、現場の上空まで行っていたというではないか! 一体、何をしに行ったのか? 遭難者を救助する前に、自衛隊が、「大事件」の証拠物件を搬出するのを見届けに行ったとでも言うのか?!(中略)
実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。
佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。
『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用(抜粋引用終了)
救助活動が遅れるとか、失態というのはよくあることですが、不自然すぎる救助活動の遅れは要注意です。奇妙な見殺しにも注意です。
「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」
「日本は現場到着に12時間もかけた」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/yokota-haijack.html
横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。
運輸省航空事故調査委員会の最終報告書には、C-130が墜落現場を発見し位置を知らせてきたことが記載されていながら、その後の米軍の救出行動は一切記述されていない。
その事実が明らかになったのは事故から10年後、1995年8月27日付の米軍準機関紙「スターズ・アンド ・ ストライプス」パシフィック版が「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」「日本は現場到着に12時間もかけた」の見出しでカリフォルニアの地域紙「サクラメント・ビー」の記事を転載したことによる。記事を書いたのはC-130のナビゲーターだったマイケル・アントヌッチ中尉(当時)。その記事には、いち早く現場に到着した同機から見た米軍ヘリの活動、不可解な帰還命令などが詳しく書かれている。
彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。
大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、
上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。
助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用)
墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった!8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。
しかし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。「JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4)」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10aこのオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼される。ところが、講演の2週間前、アクシデント発生。車の後輪がバースト。あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱戦銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた。
「やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん、遠くに行ってしまうんです。このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです」(落合由美さんの証言)。
このように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。何ということでしょう。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせているのです。もちろん日本側にもその時点で伝えられています。(抜粋引用終了)
◇ 日本航空123便~真相はどこに~ - NAVER まとめ
◇ JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故): zeraniumのブログ
この事件、核兵器の運搬の証拠隠滅説が有力のようです。
公式にも、医療用核物質が貨物であったとの事実はあるしね。
事故現場はグーグルマップでみれないらしいけど、ほんとかな?
こういう視点から、福島原発のことを考察すると、また、違ったものが見えてくるかもしれませんね。
という訳で、 STAP細胞事件もちょっとその辺の背後関係があるかもね。
何で論文取り下げにこだわるのか?ちょっと不思議に思います。
科学とは仮説なんだから論文を取り下げる必要はなくて、誤りであっても、そののまま記録として残していく方がいいですしね。
こういうブログ書いてる方が、僕と同様に僕たちが見てる世界は虚構かもしれないとおっしゃています。
真実とはこころ震えるものかもしれませんね。