新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

世界の大学のオンライン講座で、『藤原不比等=史』(ふひと)説について質問したい

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僕が最近、疑問に思ってる『藤原不比等=史』(ふひと)説について質問したいような気がする。

藤原不比等 - Wikipediaによれば、藤原不比等は、文献によれば『史(ふひと)』という漢字が当てられてるものがあるそうです。

この『史(ふひと)』なんですが、

呪の思想 (平凡社ライブラリー)

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白川静さんX梅原猛さんの対談の中で、漢字原型の甲骨文字を作った王の神官たちの末裔として出てきたりします。

『史(ふひと)』というぐらいだから、歴史的な出来事を記録したり、文書の整理とかしてた高級官僚なようなものであったようです。

それで、文身(入れ墨)の習俗をもつ、沿海民族であった殷(商)王朝の末裔は、国が滅びた後も、それなりの自治的な国に封じられ、古代韓国の国→百済経由で日本にも文化が伝わっています。


というか、百済が滅びた後にも、百済の民が日本に移住してきて、『史(ふひと)』兼『外交官』として活躍してようで、白川静さんによれば、初期の大和朝廷の公式文書は、ほとんど、彼らが書いていた可能性が高いそうです。


そこで、僕はちょっと閃いて、『藤原不比等=史』(ふひと)説を作ってみました。と思ったら、『不比等=史(ふひと)』という漢字を当てた文献もありそうだとのことでした。

不比等という名前は、壬申の乱の後、天智天皇系の皇子ということで田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家にしばらくかくまわれていた[3]ことと関連すると思われる。藤原不比等 - Wikipediaより


なんて、記述も見つかったりして、藤原不比等が『古事記』を編纂した黒幕であったと言われていますが、『ふひと』という名前に込められた意味は、やっぱり、『史(ふひと)』であることは間違いなさそうです。

藤原不比等(不比等という漢字は後世の人がつけたらしい。おくり名のようなものです)という名前は、『歴史は俺が作る!』という、少年時代に育まれた、ふひと自身の宣言であるのではないか?と思ったりします。


壬申の乱で、天智天皇側だった藤原氏は、天武天皇の勝利により、政権の中枢から一掃された。藤原不比等は、その不遇の時代に『史(ふひと)』の家に預けられ、歴史や学問に精通していったのではないかと思われます。

そして、朝廷の歴史を記述する『史(ふひと)』の重要性を認識し、『古事記』『日本書記』の編纂の総指揮を取ることになります。

藤原不比等が『史(ふひと)』の家に預けられなければ、古事記は生まれなかっただろう。


それと、 稗田阿礼について調べていたら、吉備の温羅伝承と吉備津彦の問題の謎が一気に解けた。

 

最近、京都の賀茂神社に行ったこととか、漢字の起源を研究した『白川静』氏の本とか、孔子は巫女の子で私生児だったとか、藤原不比等は『史(ふひと)』だったとか、古事記の稗田阿礼とか、色々調べていたら、吉備津彦の命にまた行き着いた。

おいおい、ここ数ヶ月の僕の行動は、神様に導かれていたのかと、今、気づいた。

なんてこった!怖ろしいというか、すべてが偶然ではなかったというか、これは凄いことだよとだけ言える。

漢字を作った古代殷王朝の文化が、日本に流入し、それが日本の文化の謎を解く鍵だとしたら、卑弥呼や古事記、吉備津彦や温羅の問題も、これで一気に解けてしまうことになる。

そういうことだったのか。