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新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

小保方晴子さんのSTAP細胞の作成の手技の謎、暗黙知の世界

ネットの話題 トンデモ科学 STAP細胞 小保方晴子 経済人類学 暗黙知

◇ 小保方晴子「涙の電話」のその後。STAP細胞捏造疑惑の背景を考える(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース(1/3)

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小保方さんのSTAP細胞の論文の捏造疑惑ですが、今回はなぜか僕は擁護派です。

論文にコピペやミスが多いという問題もあるのですが、STAP細胞の作成の追試での再現が上手くいかないという問題が背景にあります。

完全に僕の勘と素人的推理なのですが、欧米と日本の水の性質の違い、硬水と軟水、phの問題ではないか?と予測しています。

まず、実験が再現できないことについて、若山は当初から議論になることは想定していたという。若山はその理由として、1998年に自分が作製に成功したクローンマウスを例にあげている。この前年、イギリスの研究者グループが世界初の体細胞クローン羊「ドリー」の作製に成功、「ネイチャー」に論文を発表していたが、その後しばらく誰も再現実験には成功しなかった。そのため、論文に対し捏造だと疑われるほどだったという。だがその疑惑も、若山らの体細胞クローンマウスの論文の発表をきっかけに払拭されたのだ。


この体験から若山は、《科学の実証はそんな簡単なものではありません。発表して間もないのに、こんなに大騒ぎになる方がおかしい》と、STAP細胞の論文発表後の国内での騒ぎをやんわり批判する一方で、《僕たちが「(STAP細胞の)作り方は簡単。紅茶程度の弱酸性の液体に浸けるだけ」と強調しすぎたこと》に反省の意も示している。

 

小保方晴子「涙の電話」のその後。STAP細胞捏造疑惑の背景を考える(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース(1/3)より

 

◇ 今回の実験は「紅茶程度の弱酸性の溶液に浸けるだけ」というのがポイントですが、職人芸的な微妙なphの調整が必要なのではないかと思っています。

欧米と日本の水の性質の違い、ミネラルの多い硬水と少ない軟水の問題もあるように思います。

もうひとつ、彼女の「割烹着」にまた秘密があるのでは?と思ってます。

あれは実験の達人というか、料理の達人が作った味をなかなか再現できないことを象徴的に示しているのではないかと思います。

ニュースソースが病院で読んだ「週刊新潮」なのですが、彼女のSTAP細胞の実験をする手技のコツを言語化できないという問題があるといいます。

彼女のグループのメンバーには、そのコツが何となく伝わって、実験を再現できるそうです。


◇ つまり、実験を再現するためのコツは言語化できない「暗黙知」であり、そこを言語化して世界の研究者に伝える必要もあるのではないかと思ってます。

経済人類学者栗本慎一郎氏の著書では、「暗黙知」というのは経済人類学者カール・ポランニーの弟、化学物理学者から科学哲学者に転身したマイケル・ポランニーが提示した概念だそうです。

ナレッジ・マネジメントなども、この「暗黙知理論」から発展したものです。

暗黙知(あんもくち)は、認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない身体の作動を指す。

概要[編集]

暗黙知とは「知識というものがあるとすると、その背後には必ず暗黙の次元の「知る」という動作がある」ということを示した概念である。この意味では「暗黙に知ること」と訳したほうがよい。

たとえば自転車に乗る場合、人は一度乗り方を覚えると年月を経ても乗り方を忘れない。自転車を乗りこなすには数々の難しい技術があるのにもかかわらず、である。そしてその乗りかたを人に言葉で説明するのは困難である[1]つまり人の身体には、明示的には意識化されないものの、暗黙のうちに複雑な制御を実行する過程が常に作動しており、自転車の制御を可能にしている。

それゆえ知識から人間的要因を「恣意的」として排除しようとすると、決して操作に還元しえない「知る」という暗黙の過程をも否定することになり、知識そのものを破壊してしまう。「暗黙知」を単純に「語り得ない知識」と同一視することが広く行われているが、これは安冨歩が指摘したように誤解である。

準拠枠 (frame of reference) など関連する研究はあるが、暗黙知の認知的次元を経営学社会学的に理論化する試みは、未だ発展途上の段階にある。

ポランニーのタシット・ノウイング[編集]

ハンガリー出身の化学者哲学者社会学者マイケル・ポランニーが著作「暗黙知の次元」[2][3] において、タシット・ノウイング(tacit knowing)という科学上の発見(創発)に関わる知[4]という概念を提示し、「あるもの」をそれぞれ遠隔的項目・近接的項目と呼んだ。このような傾向を近代の学問の中に見出したため、ポランニーは化学者から哲学者へと転向した[5]

 

知識経営論における「暗黙知[編集]

ポランニーの用語を利用した理論に、ナレッジマネジメントの分野で使用される、野中郁次郎の「暗黙知」がある。

野中は「暗黙知」という言葉の意味を「暗黙の知識」と読みかえた上で「経験や勘に基づく知識のことで、言葉などで表現が難しいもの」と定義し、それを「形式知」と対立させて知識経営論を構築した。野中は「暗黙知」を技術的次元とは別に認知的次元を含めた2つの次元に分類している。この野中の暗黙知論はポランニーの理論とは根本的に異なっており、野中独自の「工夫」と見た方が良い。ただし、同概念そのものまで野中独自の創案だとする一部見解は、ボランニーを引用しつつ野中同様「暗黙知」認識を展開した例は他にもあることから過大評価だと言える。

従来の日本企業には、職員が有するコツやカンなどの「暗黙知」が組織内で代々受け継がれていく企業風土・企業文化を有していた。そうした暗黙知の共有・継承が日本企業の「強み」でもあった。しかし合併・事業統合・事業譲渡・人員削減など経営環境は激しく変化している。加えてマンパワー派遣労働常態化、短時間労働者の増加、早期戦力化の必要性など雇用慣行の変化により「同一の企業文化の中で育ったほぼ均等な能力を持つ職員が継承していく」といった前提は崩れつつある。このため現場任せで自然継承を待つだけでなく「形式知」化していくことが必要とされる。その方法として文章マニュアルなどがある。

こうした「形式知」化はナレッジマネジメントの目的の一つとしている。すなわち個人の有する非言語情報はそのままでは共有しにくいので、明文化・理論化し、知識の共有化を進めていこうという論法である。情報システムはそうした形式知化・共有化に貢献しうるのではないかとされている。

しかし形式知化しようとすると、漠然とした表現かつ膨大なデータ量となり、検索が困難で共有化が難しいとの指摘がなされている。ただ近年、形式的・分析的な管理手法が企業を席巻するなか、暗黙の次元の重要性を経営者に意識させた効果があったとされる。

参考文献[編集]

 

 

◇ 「暗黙知」とはスポーツや職人技のように言語化しにくいもので、科学の世界で観察者の存在が、観察対象に影響を与えるという話があります。

そのこととも関係しているのではないかと思いますが、量子力学の問題にも通じるといいます。

 

量子力学と観測[編集]

量子力学では対象を状態の重ね合わせとして記述し、観測によって一つの状態がある確率で実現する。この枠組みは、それ以前までに育まれていた客観的実在を想定する決定論的記述を見直す契機になった。このため、量子力学の解釈問題が重要な課題となった。

ニールス・ボーアらの提示したコペンハーゲン解釈では、観測が行われると、状態を記述する波動関数は一つの状態に収縮しているとする。ここで、何時どのようにその状態が実現したのかについては説明を与えない。これに対し、アインシュタインらは、量子力学では記述されていないが実際にその状態を実現させた変数が存在するはずだ、と主張した(局所的な隠れた変数理論)。また、確定時期を特定することの困難を指摘する思考実験として、有名な「シュレーディンガーの猫」の例が示された。

しかしながら、局所的な隠れた変数理論は、量子力学とは異なる結論を出すことがベルの不等式によって立証され、実験検証(アスペの実験)によって棄却された。量子力学と同じ結論を出す、非局所的な隠れた変数理論は存在する。ただし、この理論は、クラスター分解性を持たず文脈依存性があることが知られている。

 

量子力学と意識[編集]

コペンハーゲン解釈はどのようにして観測によって波動関数が一つの状態に物理的に収縮するのかは説明しない。隠れた変数理論が数学的に成り立たないことがフォン・ノイマンによって証明された(しかし、後に、その証明に使われた仮定の1つが誤りであることが、デヴィッド・ボームによって指摘されている。)。そこで、ノイマンは、収縮は観測という人間の行為と同時に起こる、として、量子力学の枠組みで説明できない意識を導入し、意識と相互作用する際に収束がおきるという主張をした。ウィグナーは人間の意識の特別な意義を重要視する姿勢を示した。他に、ペンローズも意識や心と量子力学を関連させて論じている[15]しかし、観測の過程において、何時、どのようにして収縮が起きたかについては、それを論じる理論もなければ、それを示す証拠もなく、今日でも完全な合意は形成されていない。収縮が起きる瞬間を明確に特定できない以上、人間が認知した瞬間に起きることだけを前提として観測による状態の変化に意識が介在するという考え方に踏み込む必要性は全くないと言える。

また、このような解釈の導き出す困難をウィグナーは、ウィグナーの友人のパラドックス[16]によって示している。これは、シュレーディンガーの猫の変形であり、毒ガス発生機をランプに置き換え、さらに、猫の代わりにウィグナーの友人を箱に入れる。猫の場合には、箱の外の人間が観測しない間は猫はマクロな状態の重ね合わせと考えねばならなかったが、猫でなく人間である場合には、箱の外の人間が観測する時点で観測が行われたとすべきか、箱の中の友人が既に観測を行っているとすべきか、決められない。ウィグナーの友人のパラドックスは、フォン・ノイマンの理論が観測という基本的な定義においてさえ不完全であることを示している。

波束の収束を、観測されるミクロな対象とマクロな観測装置の両方を含めて、物理的に説明しようとする試みも進められている。しかし、量子力学の成立以来続けられているこの試みは未だ成功していない。

 

量子力学 - Wikipediaより


今回、小保方晴子という「実験の手業の達人」がもつ「暗黙知的コツ」がなかなか言語化できない、あるいは、アインシュタインがいうように「隠れた変数、条件」が何か存在するために、STAP細胞の作成実験の追試の再現が困難になってるのではないかという仮説を僕は立てています。

「隠れた変数、条件」があるとすれば、今回の疑惑の原因がそれだとすると、それを見つけた人がSTAP細胞の理論を完成させた人として、小保方晴子さんとノーベル賞を受賞する可能性もでてきます。

 

さて、このトンデモ科学理論はどこまで当たってるのか?全く期待せずに、今後の展開を待つことにします。

 ちなみに、僕は小説書きかけで、小説家になってもいないのに「小説家になるための戦略ノート」などを書いている妄想家であったりします。

 

 

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暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

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