はてなの若者の老害化現象、考えるな、感じるんだ!
この人の文章を読んでいて、論理的な方なんでしょうが、この考え方、やばいと思いました。
たぶん、老害の被害なのかな?反動で若者らしさが消えています。
若害的感性といいますか、実は考え方が老害の人と全く瓜二つになってしまっています。論理と経験という方向性が違うだけで。
「若害」とは老害による被害によって、論理に傾きすぎて、若くして感性が枯渇してしまうこと。心が老化してる人。病んでしまった人。
老害がどうのという内容でなくて、世の中を論理で割り切ろうという姿勢というか、象牙の塔でこもってる100歳ぐらいの人が書いた文章に思えます。若さがないし、感性が微塵も感じられない。
この考え方自体が老害というか、一体、何歳の人が書いた文章?と思ってしまった。
この世に完璧に論理で説明できることはなく、反証不可能なものしかなく、時間は常に限られるので、見切り発車的直観と経験に基づいた決断、判断しか不可能です。
例えば、結婚した時は凄く幸せだったが、暮らしてみると失敗だったとか、そんなものを論理的に予測することなど不可能です。それを考えだしたら決断はできないので、結婚はできない、しないという選択肢しかなくなります。
未婚率が高まってるのはこれが原因かも。
人生は常に見切り発車的直観と経験に基づいた決断しかない訳で、保険の契約書ではないけれど落とし穴ばかりで、やってみないと結果は分からないのです。やってみなはれ(爆)人生理不尽が当たり前、それを乗り越えるしかないのです。
だって、飢え死にするとか、グラマンに機銃掃射された老人の話を聞いたけど、それに比べたら、大概のことは大したことないです。
朝、会社に行こうとしたら、グラマンに機銃掃射されるのと、老害の理不尽で論理破たんして心が病むのと、老害の方がきついのかもね(爆)
年齢に関係なく読書によって他人の経験を共有することはできるし、今はネットがあるので、集合知によって一瞬で凄まじい量の情報、経験を得られます。
ただ、サイバーカラテじゃないけど、その知識、経験を生かすには実際の豊かな経験と体感、身体で覚える「非言語的感性」が必要です。
感性に年齢や経験は関係ないから。若い人の方がむしろ凄いはず。
何かを体験することから得られる体感がないと直感は閃かないし、頭でっかちにならずに、もう少し身体動かさないと、自分に都合のいい空虚な論理しか組み立てられなくなります。
僕は最近、「小説家になろう」でラノベばかり読んでるからかもしれませんが(白川静や古代文学や歴史も読んではいますが)、今の若者の感性は世の中の世相を反映して小説を新たな進化に導いてるし、凄いなあと思っていました。
はてなという論理と理屈の小世界に安住してしまってるツケなんでしょうね。
そんな狭い世界にいては、そりゃ、うつ病になるわね。
もう少し、紅葉の季節だし、紅葉浴とかしたらいいと思います。
岡山県の奥津渓に行ってきたけど、凄かったです。
エネルギー沢山、もらいました。
万葉集で紅葉とか、景色を見ることが呪術的効果を生むことがひしひしと伝わってきました。元気玉できそうだよ。
奥津渓(岡山県鏡野町)の紅葉情報:全国おすすめ紅葉名所2014:るるぶ.com
書を捨てて町に出て、自然(神)と交流することが必要に思えました。
自分の脳内だけで完結した世界の危うさというか、春の桜などの花見や紅葉によって古代の人は自然と交流していました。
自分の身体という異界の神(自然のシステム)との交流も大事で、それは踊りや音楽や祭りによって昔はやっていました。
自分の身体を自分のものだと思ってるの?
自然から(神様)レンタルしてる仮初なものだし、自分の身体が自分の思い通りにならないのは(ダイエットしてるけど痩せないとか)、自分の意思とは全く違うものとして自然のシステムに作られたものだし、自分というシステム内の異界のようなものなんですよ。
あなたの本体はその精神と心しかないのです。
身体はレンタルだから、死んだら今は火葬にして(土葬、風葬、水葬)自然(神)に返すでしょう。
人はひとりで個人として生きてるという考え方ではなく、あらゆるものに生かされてるようなネットワークの結節点に個人が存在するのだと考えないといけないと思います。
分からないことは、直感で神様に直接、教えてもらったらいいと思いますよ。
人間というのは神様の操り人形的な側面もあるし、そういうDNA組み込まれてるし仕方ないしねえ。
Amazing OLD JUDO Throw Defense Mifune accepts challenges from high level students! - YouTube
例えば、この柔道10段の技はもう理屈では捉えられないけど「柔道に神髄とは心の在り方」といってます。
暗黙知の物理化学者にして科学哲学者のマイケル・ポラン二―は「潜入」という手段で人の心や書物やスポーツや武道などの神髄、本質を人は学ぶ手段を持っていると言います。
これは「他者の体験をそれに類似する体験をする(マネする)こと」によって、自分の中に再現することを意味します。
これが類感呪術や詩経の「興」かもしれません。
字形舁+同の会意。〔説文〕は、舁(四つの手で力を合わせる意味)と同で、共同して何かを行うこととする。白川静は、同は酒器であってそれを上下より持って酒をふりそそぎ地霊を呼び興すこととする。
興とは (コウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
「興」は詩経の技法ですが、桜の花見、紅葉、山の景色を「興」の技法によって詠むことによって、地霊を呼び起こし、それと交流することです。
ナルト疾風伝の自然エネルギーの蓄積、ドラゴンボールの元気玉に類する呪術ですね。万葉集の人麻呂の歌の目的は天皇祭祀の呪術を歌を使って行っていたと思えます。
和歌の原義は「ワカ姫」という人の名で、田んぼで虫を祓う呪文を唱えた巫女さんだったらしいです。
和歌=歌自体が呪文であり、万葉集の人麻呂の歌は天皇祭祀の魂振り、魂鎮めの技法だったようです。
新時代のあけぼの | ホツマツタエのおもしろ記事(1)『和歌』
ホツマツタエは江戸時代にできたもので、偽書説もありますが、現状、古代人の世界観や古事記、日本書紀、万葉集、天皇祭祀の解読には、白川静の知見やホツマツタエぐらいしかなく、こちらを研究していくしかなさそうです。
こういう見切り発車で研究は進んでいく。
即興詩のようなもので、次の瞬間、何が生まれるか?予測はできないけど、それが逆にいいんだよね。生きる喜びのようなものです。
身体を動かす体験によって感性を磨くことが、実はこの世の真実への鍵であるし、自然(神)のネットワークを知ることに繋がるし、それを言語化した科学的発見などにも至ることになると思います。
論理的思考も大事ですが、それはあくまでその体験を整理する場面で必要なものであり、あくまで手段です。
手段に過ぎない論理で宇宙を知ろうとした瞬間、それは死んでしまうし、感覚的に感じるしか手段はないのです。シュレジンガ―の猫は生きてるし、同時に死んでるとも言われますが。
ということで、結論としては「考えるな、感じるんだ!」というブルース・リーの名言になります。
こちらは僕のお気に入り小説のステマです。
この作品、傑作というか、文化人類学の交換や呪術的知見、諸星大二郎から攻殻機動隊までをカバーしてしまうサイバーパンクというか、オカルトパンクという新ジャンルの作品ですね。
たぶん、歴史を変えてしまう作家だと思います。ソードアートオンライン級の作品だし、書籍化、アニメ化、映画化希望です。
書くのも早いし、内容もいいし、更新が待ちどうしいというか、実は、まだ最後まで読めてないです。177万字だと!長いけど、読み終えたくない、終わらないでほしいという気持ちもあります。