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新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

終わりなき日常を生きる知恵、祝祭、コミュニケーションという解決法

◇ 人を殺してはいけない理由は本能的なものだが、人類においてその制限が外れる理由 - 新世紀の生き方、物語の世界

◇ 殺人と戦争の生命論的考察、ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分―普遍経済学の試み』 - 新世紀の生き方、物語の世界

◇ 終わりなき日常と生きる強度、殺人という反則的な困った突破法 - 新世紀の生き方、物語の世界


佐世保女子高生殺害事件(させぼじょしこうせいさつがいじけん)は、2014年7月26日長崎県佐世保市で発生した殺人事件である。

 

被害者は佐世保市の公立高校に通う女子生徒であった。遺体が発見されたマンションに住む、同級生の女子生徒が緊急逮捕された[1]。逮捕容疑は、被害者を自宅マンションにて後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した疑い。県警によると遺体は首と左手首が切断されていたという。

 

イギリスのデイリー・メール紙は「近年の日本で最も衝撃的な事件の一つ」、「日本で起きた犯罪の中でも最も陰惨なものの一つだ」と大きく伝えた[2]

佐世保女子高生殺害事件 - Wikipedia

 

 

佐世保の女子高生が友達を殺害した事件ですが、僕が思うに、解剖の趣味の延長線上で殺害に及んだと思えます。

本人は以前から解剖などに興味を抱き、医学書を読んでいて、家庭の事情も実母がガンで亡くなり、父親が再婚したけど、マンションでひとり暮らししたりして複雑だったようです。

不登校うつ状態が続いて、危ない精神状態にあったことは推測できますが、犯行が計画的すぎて、世を恨んだり、怨恨の線もないし、解剖の趣味の延長線上で興味本位の殺人事件、解剖事件のように思えます。


捜査[編集]

室内からはストレート切断用のこぎり、石頭ハンマー、テストハンマーが見つかっている。容疑者は「自分で買った」と供述。発見された凶器のうち、のこぎりはベッドの上で、ハンマーはベッドの脇と下から見つかった。

容疑者は「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述しているが、2人の間の具体的なトラブル等は不明。取り調べに「殴ってから首を絞めた。すべて私が1人でやりました。誰でも良かった。」と犯行を認めるものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られず、長崎地検は精神鑑定を検討している[8]

長崎県警は29日午前に「2人の間にトラブルが合ったとみられる」と公表するも、同日午後に「間違いだった」と訂正[9]

(中略)

容疑者[編集]

容疑者は佐世保市内の高級住宅街で育つ。容疑者は今春より親元を離れて一人暮らしをしており、その一人暮らしをしているマンションで被害者の遺体が発見された[10]。幼い頃から学業優秀、スポーツも積極的。中学では放送部に所属しており、NHKのアナウンサーが夢だった[11]

その一方、「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」[12]といった評価も見られる。自分のことを「ボク」と呼び、中学の頃から医学書を読んだり動物の解剖にハマったりするなどしていた[13]

小学校6年時の2010年頃、同級生の給食に薄めた洗剤や漂白剤、ベンジンを混入する悪戯を繰り返すなどの問題を起こしている[14]

2013年10月に実母が癌で亡くなって以降、不登校が続いていた。中学校卒業後には一人暮らしを始めるが、高校は1学期のわずか3日だけ出席。2014年5月、父親が再婚。

(中略)

担当精神科医[編集]

容疑者の診察を以前から担当していた精神科医は、2014年6月10日に県の相談窓口に電話で連絡を行った。電話の内容は、精神状態の不安定さを懸念して「女子生徒は人を殺しかねない」といった内容を伝えたが、県が適切な対策を取らなかった。報告を受けた県議会が相談を放置した可能性があるとして、経緯を調べている[16]

佐世保女子高生殺害事件 - Wikipedia

 
◇ ということで、殺人がどうして起こってしまうのか?という議論の趣旨からは、今回の事件は不適切かもしれませんが、彼女がうつ的な退屈な日常から逃れるために、自分の趣味の解剖の延長線上で友人の殺害に及んで、おそらく、それは非日常体験として、彼女にとってはある種の快楽であったのではないかと思えます。

リストカットなどの自傷行為においても、脳内麻薬物質(オピオイド)が分泌されることが知られています。

本来は痛みから身体を守るためのものですが、それが麻薬の常習者のように快楽として中毒症状になってしまうことがあります。

 

脳内麻薬様物質(オピオイド)
●最期にもたらされる残酷な救い
 脳内麻薬様物質(オピオイド)は交感神経系の興奮によって、GABA神経系から分泌されるエンケファリン、β-エンドルフィンなどを指します。オピオイドは阿片などの麻薬に極めて近い構造をもちます。
 オピオイドの大量分泌により、精神活動の麻痺や感情鈍麻といった状態に入ります。これは、闘争も回避もできない深刻なストレスにさらされた生物に、「最期の救い」をもたらします。精神活動の麻痺や感情鈍麻によって、完全な降伏と受身の態勢をとり、現実感のなさによって、生物は「静かに捕食者の餌食となる」のです。

 長期間反復的に回避不能のストレスにさらされた個体は、脳内オピオイド受容体の感受性が上昇します。これは阿片などの麻薬を反復投与された個体に見られるものと同じ、生理的な反応です。そしてこのような個体にストレス刺激や麻薬の反復投与を急に中断したり、オピオイドの拮抗物質であるナロキソンやクロニジンを投与すると、同じような退薬症状(禁断症状)を呈します。そのため、オピオイド受容体の感受性が上昇した個体は、強烈なストレス刺激……自分で自分の命を危険に晒したり、自分の身体や心を痛めつける行為……なくしては生きていけなくなります。

 オピオイドの過剰放出は、大脳辺縁系の扁桃体、海馬などにダメージを与えることで知られています。扁桃体に損傷を受けた個体は、「恐ろしいもの」「いやなもの」に直面しても、避けようとしなくなります。

 マラソン中にオピオイドが分泌されることはわりと有名で、マラソンによってオピオイドが分泌された状態のことを「ランナーズ・ハイ」と呼びます。オピオイド濃度の上昇は、他にも手術、接食障害者の嘔吐などで確認されていて、また、リストカット、車での暴走等の自傷行為によってもオピオイドは上昇するそうです。

 オピオイドの大量分泌は離人症的な症状をもたらします。現実感の喪失、自己と外界を隔てる透明な壁のある感じ、自分のことを遠くで自分が観察している感じ、自分の手足の消失する感じなどです。

神経伝達物質・脳内ホルモン

 

 

 うつ的状態から逃れるため、無限に続くかに思われる閉塞状態、終わりなき日常が続くことに人間は耐えられません。

人間が生きていくためには、非日常の快楽的な体験が必要になります。彼女にとって、それが友人の殺害になってしまったのは残念です。



◇ この辺りの話は的外れかもしれませんが、人間が生きていくために、非日常体験=脳内麻薬が出るような変性意識状態が必要なのは確かです。

宮台真司は著書の中で「終わりなき日常」(退屈)に対抗するためには、「コミュニケーションスキル」をアップすることで、「今、ここに生きる」という体験を積み重ねる=生きる強度を上げろと言っています。

人間の精神は「終わりなき日常」のように平凡な日々が続けば、次第に退屈し沈み込んでいきます。

古代社会では、現代社会でも、これを定期的な祝祭、お祭りのようなものを開いて非日常体験(今、ここ体験)をして、精神を活性化しています。そして、生きていく強度を上げていく。

それをしないと、共同体の精神は死んでしまっていくことになります。

この非日常体験(今、ここ体験)には、非生産的経済システムがセットになっていて、夏の花火大会、お祭りにおいて、共同体から富を寄付という形で募り、それを蕩尽(消費、浪費)することになります。


非生産的経済システムというのは、ガイア(地球)にもたらされる過剰な太陽エネルギーを処理し、蕩尽すると共に、人間の精神を活性化し、共同体全体の生きる強度を上げていくことになります。

飲み会だとか、社員旅行、忘年会、新年会など、ただ、お金と時間の浪費に見える、くらだないようなことが何故、行われるのか?ですが、そういしないと人間は生きていけないことになっているからです。


ネット上の祭り、炎上が非生産的で不毛なのはそういう理由によるものです。

祭りは非生産的であることが必要だし、それが、蕩尽こそが目的なんだから。
というか、目的にしたらいけないというか、無意味であることが普通というか。

そうすることと引き換えに、人間の精神は日常のストレスから解放され、活性化されて、明日も生きていけるようになるのです。

日常の生産的システムで生産された富を一気に蕩尽し、消費しつくすことが、人間の精神を活性化する方法としては非常に優れている訳です。

 

◇ 古代社会ではこういうハレとケ、日常と非日常が繰り返される社会が常態でしたが、資本主義、近代社会のように、日常の生産的経済システムこそが善だという社会、「過剰な生産物、富を蕩尽ではなく、社会の成長に回すような社会」の出現によって、このシステムは徐々に壊れていきます。

非生産的経済システムは悪だという価値観によって、非生産的経済システムの縮小がされていけばどうなるかといえば、高ストレス社会、精神が徐々に病んでいく社会の出現となります。

例えば、すき屋ワタミのようなブラック企業、長時間労働の会社は、行き過ぎた資本主義の会社なんですが、従業員は高ストレスにさらされ、おかしくなっていくし、派遣の反乱とか不満が生まれるのは当然の結果となります。

効率化=生産的経済システムがいきすぎると、こういうことになる。ベネッセの情報流出の理由も、効率化され過ぎて富の分配をけちった派遣労働者に依存してるために、常にリスクと隣り合わせになります。自然の法則に反してしまってる訳です。


効率化された生産的経済システムが悪ということではないのですが、高コストの終身雇用、社員旅行、忘年会などという日本的非生産的経済システムを会社に組み込んだのは凄い知恵だったのです。

 
終身雇用の安心感や従業員の待遇の改善や富の分配は、従業員による非生産的経済システムの活用する余裕を与えるので、精神的ストレスというか、精神的エントロピーは低下して個人の精神は安定します。

社員旅行、忘年会などという日本的非生産的経済システムも、直接的に同じ効果をもたらします。

日本においても高度成長期には、富の分配と従業員の待遇上昇により、こういうリスク自体が潜在していましたが、低成長の「終わりなき日常」が続く社会になっていけば、こういうリスクは当然、高まります。


◇ ここで宮台真司氏の「社会システム理論」の話になるのですが、どうもこの理論は、アーサー・ケストラー(ポラン二―幼稚園卒)の「ホロン論」だとか、暗黙知のマイケル・ポラン二―「層の理論」だとか、ジョルジュ・バタイユの「普遍経済学」と共通するモデルがベースにあるようです。


経済人類学者のカール・ポランニー(マイケル・ポラン二ーの兄)を師匠のひとりとしてもつ、経営学者のピーター・ドラッカー(カールが編集長の経済紙に寄稿した?)もまた、自らを「社会生態学者」と呼んでいるのは偶然ではなく、この思想的流れによります。


ピーター・ファーディナンドドラッカーPeter Ferdinand Druckerドイツ語名:ペーター・フェルディナント・ドルッカー 1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリアウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人[1]経営学者。「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management) の発明者、またマネジメントのグルの中のグルと呼ばれる[誰によって?]

他人からは未来学者フューチャリスト)と呼ばれたこともあった[2]が、自分では「社会生態学者」を名乗った。父・アドルフ・ドルッカーウィーン大学教授)と母・ボンディの間の子で、義理の叔父に公法学者国際法学者のハンス・ケルゼン(母方の叔母・マルガレーテ・ボンディの夫)がいる。ドラッカーの自著によれば、父親はフリーメイソンのグランド・マスターだった[3]

ピーター・ドラッカー - Wikipedia

 
この辺りの学者相互の繋がりは、栗本慎一郎氏のブダぺスト物語を読めば、だいたいわかります。以前、書いたように、アシュケナージユダヤ人(幻の第十三支族)ロシア→東欧→ドイツ、オーストリアハンガリー→フランス→イギリス→アメリカという移動コースの歴史を辿れば見えてくるものかもしれません。

カール・ポラン二―もフリーメイスン関連だったし、秘密結社の歴史も分かるかもしれませんね。

 

 


つまり、有機的生命体の集合体として社会を捉えるやり方です。

機械論的にはアリストテレスが言った「全体は部分の総和以上のものである」という名言があるそうですが、バラバラになった人間の臓器を繋ぎ合わせても、人間は生き返ることはない。

東欧で生まれた人工生命体のフランケンシュタインの話は、生命とは何か?ということを考えさせるエピソードである。

社会をひとつの生命体のように考えるやり方が社会システム理論」のお話になるのでしょうが、生命体としての社会の生理を考えて行かないと、人間が勝手に社会システムをいじったガイア(地球、社会システム)から反撃を食らうことを考えないといけません。


結局、ワタミすき屋ブラック企業問題も、社会からの反撃のようなもので、人件費を削ったり、長時間労働によって人間を高ストレス状態に追い込むことに危険性が分かったと思います。

痛いニュース(ノ∀`) : 深夜1人勤務の「すき家」に強盗 女性バイトが被害 - ライブドアブログ


こういう記事が出ても、世間だとか、個人がすき家を攻撃してるのでなく、社会やガイア(地球)そのものが、すき家を攻撃してると思わないといけないと思う。

神は細部に宿るというか、2ちゃんねるの名無しの声の中にも社会システムの声があったりする。

これは例え話ではなく、現実の世界で起こってることで、名無しをひとりづつ潰していっても、キリがないというか、次から次へと出てくるし、社会システムの意志を代弁してるだけというか。

だから、ブラック企業と呼ばれる企業は、社会システムからガン細胞認定されてされてしまってるので、もう逃れようがないというか、何でこんな目に会わないといけないんだと思っても、それが自然の法則だからとしか答えようがない。


◇ 同時に、社会の声を代弁したような人気小説だとか、芸術作品があったとして、それはその人個人の才能への賞賛に見えて、実は社会システムの声を反映してるから人気がある訳です。

そういう作品はその人個人のものではなく、その人の無意識を通じて、何らかの社会の意志のようなものが発現していると考えた方がいいと思う。

神は細部に宿るというか、どこにでも存在してるというのは、そういうことであり、人間というのは個体であると同時にガイアのシステムの一部であることは変わりない訳です。

宗教家と呼ばれる人は、どんな生命や人間のうちにも神性があると言っていますが、それは全く当たり前のことであり、無意識ですべて繋がっていると考えた方がいいと思います。

ネット上の祭りもそういう現実に生きる人々の声を代弁しているだけで、「終わりなき日常を生きる知恵」のひとつかもしれませんね。

背後に神の声があるかもしれないという考えは、いつも頭の片隅においておきたいものです。


しかし、笹井さんが自殺したという衝撃のニュースで、結論がグダグダになってしまいましたが、キーパーソンの野口さんが沖縄で自殺した(他殺説が濃厚)ライブドア事件を思い出してしまいました。

この事件が、やはり株価絡みの経済事件だとしたら、今回も他殺説も有りうるのかなとも思いましたが、日本にとって、優秀で貴重な人材を亡くしてしまったことは残念に思いました。ご冥福をお祈りします。



モグラ男と、ひかり姫は、2014年8月アルファポリス「第7回絵本・児童書大賞」エントリー済です。応援よろしくお願いします。