終わりなき日常と生きる強度、殺人という反則的な困った突破法
◇ 人を殺してはいけない理由は本能的なものだが、人類においてその制限が外れる理由 - 新世紀の生き方、物語の世界
◇ 殺人と戦争の生命論的考察、ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分―普遍経済学の試み』 - 新世紀の生き方、物語の世界
どうも論理の展開が飛躍的すぎると言われそうですが、ジョルジュ・バタイユの「普遍経済学」→栗本慎一郎の経済人類学の「過剰蕩尽理論」→宮台真司の「社会システム理論」という現代思想の豪華リレーといきましょう。
「社会システム理論」については、ほとんど知らないのですが、これから並行して調べてみます。
今回は「終わりなき日常と生きる強度」のお話です。
終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
- 作者: 宮台真司
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この話は、精神科医の斉藤学氏のアダルトチルドレンとかの話や、アルコール依存などの嗜癖行為とも繋がってくるのですが、その流れで殺人の意味についても考えていけると思います。
◇ ジョルジュ・バタイユの「普遍経済学」のお話の中で、現代社会は労働や貯金のように今の充実感を犠牲にして、未来の快楽を得るという生産的な価値観に覆われてるというお話がありました。
こういう社会システムの社会においては、宮台真司のいう「終わりなき日常」が発生してしまい、「生きる強度」が低下傾向になります。
つまり、今の楽しみを未来に先送りしてしまったので日常が退屈になる訳です。退屈=「生きる強度」が低下になりがちです。
◇ この「退屈の病」を克服するためには、人は嗜癖行為や問題行動に走ることになります。
この辺りは精神科医の斉藤学氏の著書でも参照してもらうしかないです。
「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ
- 作者: 斎藤学
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つまり、アルコール依存や恋愛、セックス、ショッピング、仕事、ギャンブルなどの嗜癖行為であり、その奥に殺人などの犯罪行為も存在しています。
これらの行為は、間違った形でありますが、非日常感覚=変性意識状態に人間を導きます。
脱法、危険ドラックなどがそのいい例ですが、脳内麻薬物質を分泌させて、意識をハイの状態にもっていく方法です。
人間がこういう行為に嵌るのは、そういう脳内の快楽を得てしまうからです。
人間の精神を正常に保つには、終わりなき日常を突破して生きる強度を回復するための非日常体験=変性意識、快楽体験が必要です。
変性意識については、この辺の本が詳しいです。
非日常体験を、各種の嗜癖行為や殺人などの犯罪行為で体験してしまうことは、非常に問題なのですが、そうしないと人間は生きる強度が低下し続けることになります。
すなわち、生きていけなくなる。
◇ 根本の原因は「生産的すぎる社会システム」なのだから、この社会システムを変えないと、こういうことは起き続ける。
「生産的すぎる社会システム」に「非生産的社会システム」をどうやって上手く組み込んでいくかという課題が今後のものになると思います。
根本的には地球に降り注ぐ太陽エネルギーそのものが過剰なのだから、「非生産的社会システム」を上手く運用したとしても、どこかで限界が来ます。
とはいえ、「非生産的社会システム」って、具体的にはなんなんだろう?という疑問も残る。
「非生産的社会システム」の発現が何であれ、「今、ここに」生きること、そういう生の充実感を生むような人間の生き方、行為が何であるのか?を追及していけば、そこにたどり着くように思います。
次回はそのあたりを考えてみたいですね。
「モグラ男と、ひかり姫」は、2014年8月アルファポリス「第7回絵本・児童書大賞」エントリー済です。応援よろしくお願いします。