新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

小保方バッシングの異常さ、科学の世界の著作権、アインシュタインとエルンスト・マッハ

◇ 武田邦彦氏によるSTAP論文問題のびっくり解説 - sincerely my thought


◇ 小保方晴子さんの「STAP細胞論文捏造疑惑」 アンチ勢力の陰(NEWSポストセブン) - エキサイトニュース(1/2)

 ◇ 小保方晴子氏への「バッシング」に持つ強い違和感 - kojitakenの日記

 

今回、なぜか小保方擁護派ですが、小保方バッシングの異常さというか、マスコミも関係者の発言を曲解しすぎじゃないかと思う。

祭り上げてストンと落とすのは常套手段ですが。


僕は武田先生ぐらいのゆるい解釈、態度でいいと思うけど。それが後進を育てる。

あと、科学における著作権問題は、創作の世界の著作権問題とは大きく異なると思う。

オリジナリティでなく、「事実を重視」するので、コピペでいいというか、むしろ文章を使いまわすことが多いと思う。

逆に「事実と違ってしまう」と問題だと思う。

ある学者が一生をかけて研究してきたものも、先人の世界共通の遺産の上に成り立っている。

例えば、アインシュタイン相対性理論だって、「エルンスト・マッハの相対的認識論」が99%なんだけど、科学者なら分かっているけど、一般の人はたいがい知らないと思う。

確かにアインシュタインには新規性、革新性がありますが、エルンスト・マッハが相対性理論を出す可能性もあった訳です。

科学って、先人の遺産という99%に、1%を積み上げていく行為ということもできます。

アインシュタイン相対性理論へと連なる「相対化」という概念も「思惟(思考)の経済」もマッハの口からこぼれたものだった。だがマッハの「相対化」はアインシュタインとは少し異なる。アインシュタイン>は宇宙論のなかで「相対化」を見事にくりひろげてみせたが、マッハにとっては空間と時間にとどまらず、「物質と精神」「物理と心理」の関係こそが問題だった。そしてそこに「相対化」を持ちこみ、「感覚」という視点にたどりついたものだった。 

『感覚の分析』(エルンスト・マッハ) 〜 【タンゴ:ゼロアワー】(アストル・ピアソラ) - 書物観光篇Ⅰより

 

 

 というか、この人いなかったら、今の科学のいくつかの分野自体が存在しなかった可能性があるぐらいです。

 
相対的認識論は、経済人類学のみならず、構造人類学や比較神話学とかの元になってるし、その後の学者の考え方、哲学そのものを変えた人だった。「相対化」という概念自体を生み出した人でもある。

この人いなかったら、効率的考え方、「思惟(思考)の経済」とか、コスパとかいう概念自体がでてこなかったかもしれない。あのCMもなかったかも。


◇ といって、エルンスト・マッハは、アインシュタインに対して著作権など主張しない。そもそも、著作権って時間経つと切れてしまって、人類共通の遺産に還元されてしまう。

おかげで、キンドルで無料で青空文庫とかの本が読める。

ある学者が一生をかけてやってきたことも、人類共通の遺産として保存され、次に世代の糧となる。

理系、文系に限らず、科学者、学者でエルンスト・マッハを知らないともぐりですね。

絶対→相対的という考え方を生み出し、その後のすべての学問分野に影響を与えた人ですしね。


近代から現代科学、現代の学問への思想的転換を図った偉人、巨人です。

 フリーメイスン左派の思想的重鎮だったかも。


概要[編集]

マッハの研究した領域は哲学物理学科学史心理学生理学音楽学などの様々な分野にわたっている。物理学だけでなく、哲学心理学科学史科学哲学などの領域で、後世にまで残る大きな影響を残している。

哲学の分野では現象学等に多くの影響を与えている。認識論科学哲学の分野では、思惟経済という考えかたを強調したことで影響を残した。生理学でも《マッハ・ブロイアー説》など、マッハの名前が冠された業績は多数ある。心理学分野では《マッハの帯》や《マッハ効果》を発見し、さらに現在のゲシュタルト心理学知覚心理学にも影響を与えている。

(中略)

業績[編集]

物理学[編集]

Schlierenfoto Mach 1-2 gerader Flügel - NASA.jpg

超音速気流の研究でも有名であり、静止流体中を運動する物体が音速を超えた場合、空気に劇的な変化が起き衝撃波が生じることを実験的に示した(1877年)。この実験には、当時の最新技術であった写真撮影が用いられた。 この業績にちなみ、音速を超える物体の速度を表すための数(物体の速度と音速との比)は彼の名前を冠し「マッハ数」と呼ばれている。

科学史・科学哲学[編集]

科学史の分野では『力学の発達』(1883年)、『熱学の諸原理』(1896年)、『物理光学の諸原理』(1921年)が科学史三部作と呼ばれ、高く評価されている。

『力学の発達』1883年では、当時の物理学界を支配していた力学的自然観を批判した。

ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、形而上学的な要素が入り込んでいるとして批判した。この考え方はアインシュタインに大きな影響を与え、特殊相対性理論の構築への道を開いた。そしてマッハの原理を提唱した。このマッハの原理は、物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる、とするものである。この原理は一般相対性理論の構築に貢献することになった。マッハは「皆さん、はたしてこの世に《絶対》などというのはあるのでしょうか?」と指摘したことがある[1]

マッハは、ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)で主張して後に、哲学者や科学者らに用いられるようになった「絶対時間」「絶対空間」という概念は、人間が感覚したこともないものを記述にあらかじめ持ち込んでしまっている、形而上的な概念だとして否定した。また同様の理由で、ニュートンがプリンキピアで持ち込んだ「」という概念の問題点も指摘し、ニュートン力学およびその継承を「力学的物理学」と呼び、そのような物理学ではなく「現象的物理学」あるいは「物理学的現象学」を構築するべきだ、とした。マッハのこうした表現は、フッサール現象学と共通する点もあるが、フッサール自身はマッハの考えに志向性の概念が欠けていることを批判している[2]。また同様に、形而上学的概念を排するべきだという観点から、原子論的世界観や「エネルギー保存則」という観念についても批判した。

認識論の分野では、『感覚の分析』(1886年)と 『認識と誤謬』(1905年)が代表的著作である。

マッハによるイラスト。マッハの左目で見た視覚体験

マッハの認識論の核心部は現在では「要素一元論」と呼ばれることがある。ヨーロッパで発達した、近代哲学及び近代科学は、-二元論物心二元論などのパラダイムの中にある。マッハはそれの問題点を指摘し、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだとした。つまり我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、感触、等々)から成り立っているのであって、我々が「物体」と呼んだり「自我」と呼んでいるのは、それらの感覚的要素がある程度安定した関係で立ち現れること、そういったことの複合を、そういった言葉で呼んでいるにすぎず、「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない、と指摘し、因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる、とした。そして「科学の目標というのは、感覚諸要素(現象)の関数的関係を《思考経済の原理》の方針に沿って簡潔に記述することなのだ」といったことを主張した。

エルンストマッハ - Wikipediaより

 

 

感覚の分析 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

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時間と空間 (叢書・ウニベルシタス)

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認識の分析 (叢書・ウニベルシタス)

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マッハとニーチェ―世紀転換期思想史

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◇ 大体、博士論文というのは、学者になるための運転免許のようなもので、そこが出発点であり完璧のはずはないです。

僕も文系で学部の卒業論文書いたけど、ほんとど栗本慎一郎、エルンスト・マッハ、カール・ポラン二―、マイケル・ポラン二―、フーコーなどの研究をなぞっただけで引用だらけだった。

それが博士論文になったとしても、まだ、研究者としてはひよこか、たまごの段階です。

武田先生の話はそういうことで、まあ、いい大人なんだから、こまかいこといわずに、でっかい器で、若い研究者を見守ってやれよという意味ですね。

99%コピペに、1%の新規性があればOKです。STAP細胞の発見したことだけで充分です。

もう自分で論文書く必要さえもない。誰かに書かせてもいいかも。


◇  生粋の文系人間の僕が何故、これを知ってるかというと、経済学部経営科のゼミにも関わらず、卒業論文が「経済人類学と文明」ですからね。

その内容が上に書いたような内容↑だったりします。まだイントロですが。


修士課程にすすめ!といってくれた教授のアドバイスがあったのに、お菓子メーカーに就職してすいませんという感じだった。器のでっかい指導教授に感謝です。


「エルンスト・マッハの相対的認識論」から、今世紀の学問の認識論、考え方の根幹を考えたりしてた。

完全なるカテゴリーエラーというか、栗本慎一郎の経済人類学って、この世の全ての学問分野が研究範囲だったりするので「超領野的学問」だったりします。

 
他界、異界、あの世の研究さえカバー分野ですし、だいたい、この世はあの世がないと成り立たない概念です。

Aというものは、A以外がないと成り立たない。

光には影が伴う。これが記号論の考え方のひとつだし。

われわれの身の回りにあるすべてのものが「記号」になりうるが、それは記号が記号以外の何ものかを代理する場合においてである。
=> 記号とは不在の現前である。それゆえ記号を分析することにより、見えてこなかったもの(不在)があらわになる。(実は、不在が何であるかが理解できて初めて記号が成立するのだけれど...)

文化記号論 I - genesisより

 

今、目の前に無いもの=不在の存在が言葉を生み出す。

「この世」という言葉は、この世以外の「あの世を強く意識する」から生まれてくる。


 

◇ この指導教授の方、ホロン経営とかやってたので、ホロン理論のアーサー・ケストラーって、ポラン二―幼稚園とかに通ってたし、経済人類学者の兄のカール・ポラン二―、化学物理学者にして科学哲学者の弟のマイケル・ポラン二―の近所に住んでいた。

 

エルンスト・マッハ、アインシュタインアーサー・ケストラー、カール・ポラン二―などのアシュケナージユダヤ人は中央アジアのハザール王国の人がユダヤ教に改宗して生まれたユダヤの13支族です。

12支族のスファラディユダヤ人とは違い、
ハザール王国崩壊後、ロシアから東欧に大量に移住していた。


当時、東欧でコンピューターを作ったフォン・ノイマンとか、天才的ユダヤ人が集中的に住んでいたのですが、この辺りことについては「ブダベスト物語」とか読んでみて下さい。

 

 


カール・ポラン二―ってブダベスト大学でガリレイサークルというものをやってたけど、このサークルはフリーメイスンから財政的支援を受けていたらしい。

カール・ポラン二―は経営学者のドラッカーの師匠のひとりでもある。

ドラッカーは結構いいかげんな人柄で、ダジャレ好きで、武田先生のような人だったらしい?

しかも、大前研一マッキンゼーで日本的経営学の本を出そうとした時に、いちゃもんというか、ものいいつけて、著書に俺の方が日本の研究は先だし、名前入れろだったかな?ということを言ったらしい。

どうもアメリカではその分野の権威の人が書評など書いて推薦しないと、出版が上手く行かないシステムになってるらしい。

 

 

生涯[編集]

オーストリア=ハンガリー帝国時代のウィーンユダヤ人家庭の次男に生まれ、ハンガリーブダペストに育った。ブダペスト大学ウィーン大学で学び、哲学と法学の学位を得て弁護士資格を取った。ブダペスト大学時代には、法学者ピクレル・ジュラの講義を排斥から守るため、学生同盟ガリレイ・サークルの初代委員長となる。やがて1924年から Der Oesterreichische Volkswirtオーストリアン・エコノミスト)誌の副編集長となり、リベラルな著作家として知られるようになった。

学生時代からハンガリーの解放運動に関わっていたが、政治状況の変化により亡命を余儀なくされ、イギリスへと渡った。この時に、イギリスの資本主義を体験し、オックスフォード大学ロンドン大学の依頼で成人教育を担当したことが、『大転換』の執筆に繋がった[1]。さらに、アメリカ、カナダへと渡ってベニントン大学コロンビア大学で教授を務めたが、妻のイロナが共産主義運動に関わっていたためにアメリカ合衆国のビザが許可されず、ポランニーはカナダの住まいからコロンビア大学へ通った。

1944年に研究の成果である『大転換』を著し、その後の思想展開として『人間の経済』や『自由と技術』などの著作を構想していたが、執筆中に倒れ、未完のままカナダで死去した。『人間の経済』はハリー・ピアスン編集で遺著として出版されたが、『自由と技術』は、コロンビア大学の大学院生だったアブラハム・ロートシュタインがポランニーとの会話を記録した「ウィークエンド・ノート」に構想が残るのみである[2]。カナダのコンコルディア大学には、カール・ポランニー政治経済研究所が設立され、未発表原稿を含めた文献を管理している。

一族[編集]

ポランニーの父ミハーイは、鉄道建設業を営む事業家。弟のマイケル・ポランニー物理化学者、科学哲学者、社会学者。甥のジョン・ポランニーは化学者でノーベル化学賞の受賞者。妻のイロナ・ドゥチンスカハンガリー解放運動家。娘のカリ・ポランニー・レヴィットは経済学者でマギル大学教授。姉のラウラはブダペスト大学で初めて博士号を得た女性であり、イギリスの冒険家ジョン・スミストランシルヴァニアにおける逸話が事実であると証明した歴史研究で知られ、前衛的な幼稚園経営者でもあり、アーサー・ケストラーがそこに入園した。ラウラの娘エヴァ・ザイゼルは陶器のデザインで知られるインダストリアル・デザイナーであり、ケストラーの恋人でもあった。妹のソフィアはナチス・ドイツ強制収容所で死亡した。

交流[編集]

ポランニーは経済以外の分野にも関心を持ち、初代委員長となったガリレイ・サークルには、創立時から詩人アディ・エンドレが関わっていた。サークルでは、エルンスト・マッハウィリアム・ジェームズの研究会が開かれている。ポランニーはマッハの研究を翻訳してハンガリーに紹介し、『感覚の分析』では序文を書いた[3]。このサークルはフリーメースンから財政的に支援されていた[4]

父ミハーイの下で働いていた主任技師は、物理学者レオ・シラードの父だった。シラードは、ポランニーの弟マイケルの友人であった。

 

Der Oesterreichische Volkswirt の副編集長時代に、のちの経営学ピーター・ドラッカーと出会い、以後長い交友関係を結ぶ。ドラッカーは、アメリカのベニントン大学の教授職をポランニーに紹介し、『大転換』執筆のきっかけともなったというが、栗本慎一郎による検証によればドラッカーによるエピソードには誇張や誤りが多く信憑性に欠けるという。

 

 

カール・ポランニー - Wikipedia

 

今の科学自体を作ったアシュケナージユダヤ人が大量に東欧に住んでいて、それがオーストリア=ハンガリー帝国→ドイツ→フランス→イギリス→アメリカと移動していく過程で、科学的発見が生まれていった。

ロケット工学、原発(マッハ、アィンシュタインなどの物理学者)、ロボットの技術(フランケンシュタインのお話にみる生命論への考察によって)、コンピューター(フォン・ノイマン)などの発明はこのブダペストガリレイサークル(フリーメイスン左派?)から生まれたと言えますね。

 

フリーメーソンとは】

 フリーメーソンは、自由(フリー)な石工建築士(メーソン)の意で、かってエルサレムでソロモン王の宮殿建築に携わったメンバーを始祖とすると云われている。彼ら特殊建築家は技術伝承の為の組合を設立していた。そして特権的に多くの義務を免除され社会的地位が高かった。この組合がフリーメーソンの始まりであり、正式名称を「古代自由正統石工(いしく)組合」と云う。

 組合は完全な徒弟制度であり、秘密主義的であり、外部に対して排他的であった。且つ彼らは独特の教義を持ち「宇宙創造神」を信奉していた。メンバー間の兄弟愛と同胞主義が強く政治結社的役割をも担っていた。JAH=ヘブライの神エホバ、BUL=古代カナンの呪術的な神バール、ON=古代エジプトの黄泉の国の神オシリスという三つの神を信じる教義を受容した者でなければ高位メーソンとなれない。エホバ信仰はユダヤ教、バール信仰はサタニズム(悪魔主義)信仰を意味している。バール神とは、古代イスラエルの民をエホバの神に帰依させるために戦った「邪神」で、「悪魔」だとされている。

 以上のような特質を持つフリーメーソンが歴史的に継承されていくことになる。戦争と革命の時代となった近世と共に姿を現し、「自由、平等、博愛の理想」に基づく反キリスト教運動を隠然公然と仕掛けていくことになる。次第にユダヤ系資本の幹部や各界有力者をつなぐ国際的秘密結社となり、世界各地に支部を設け、その国々の政財界を操作しながら世界政府の創出を目指している。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_freemeisonco_ikaiseido.htmより

 

 ドラッカーは、ポラン二―家は天才一家というイメージが強すぎたらしく、確かにノーベル賞も取ってる家系だし天才一家ですが、著書の「傍観者の時代」にちょっと大げさに書きすぎてるらしいし、勘違いも多いらしい。かなりのおおざっぱ人間です。

というか、後の科学的発見をする天才のユダヤ人たちが、東欧の比較的近所同士で住んでいたし、交流もあったとも言えますね。

ドラッカー家の周辺にも天才たちがごろごろいて、交流もありますが、アシュケナージユダヤ人のコミュ二ティがあったということですね。


これぐらいのことは学者だったら、常識として知っていて欲しいけど、たぶん、マイナーな考え方なので、日本(世界でも?)では栗本慎一郎と僕しか知らない可能性があるので、ブログに書いてみた。

さすがに、日本や世界の学界のレベルが、そこまでひどくはないと思うが。

本題とかなりずれたところで、そろそろ終りたいと思います。

 

 

 

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