新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

ブログは世界と繋がっている

◇ 見ないほうがいいってこともあるよねって話

◇ 打たれ弱い奴はブログとか辞めたほうがいいんじゃないですか(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

この記事を読んだりしてたんだけど、これ、24時間残念営業さんが(ブログ閉鎖中)が言っていた
『うちらの世界』論、まとめ - 新世紀の生き方、物語の世界のお話と似ている。

 

もうひとつ、ネットに対する態度というものがある。

 彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。実際にはそれは、インターネットの仕組みの内部で動いているサービスなのだが、ここでSNSと「うちら」の結託が起こる。SNS=うちらとなるわけだ。なんとなくは「インターネット全体」という外部があることは知っていても、それが「うちら」に積極的に介入してくることは考えない。もしそれが容喙してきた場合、彼らの理屈に従えば「うちらなにも悪いことしてないのになに勝手に干渉してくんの」ということになる。

そうした、世の中の極端に狭い人たちがネットを使うと、そこが世界のどこへでも瞬時に繋がるどこでもドアの世界だというのを理解できないので、そもそも自分の書き込みや写真投稿を、赤の他人が見ている、という事を想像できないわけです。

馬鹿からネットを取り上げろ - ネットゲリラより(今は無き、24時間残念営業さんのブログから引用された言葉です)

 

結局、僕の結論は『インターネットって、世界と繋がってるよね』ということで、『株式投資の世界も世界といきなり繋がってる』ということです。

つまり、ネット初心者であろうがなかろうが、ネットのあらゆるレベルの人から見られてしまうし、それを防ぐことはできないということです。

これは株式投資の世界とも似ていて、株の初心者であろうが、一端、株式投資の世界に入れば、ヘッジファンドとか、スーパーコンピューターで行われる超高速の1秒に数千回の取引ができるソフトと直接、戦うしかないということを意味しています。

ヘッジファンドの空売りで、株価、財産半減させたガンホー株持ってる個人投資家みたいなものです。株は自己責任なので、お金を失っても返っては来ません。悲しいけど。

 

野球に例えるなら、草野球のマウンドに立ったつもりが、実は大リーグのマウンドに立ってて、相手は世界レベルの強打者だったという状況だと思うと、分かりやすいと思います。

また、ある時は、相手が小学生1年のバッターだったりもするのですが、そういうものが混在し、『世界に向けて開かれているのがネットの世界』です。


これって、『グローバル化』のお話とも同じですね。

日本の出版業界が、業界の中の力関係や事情のために、電子書籍などの発売に躊躇してるうちに、アマゾンが上陸してきて、電子書籍端末を出されてしまって、電子書籍のプラットフォームを完全に押さえられてしまった事例を思い出します。

あるいは、同じく、日本独自のガラケーの世界で生きてきた
ドコモやauだったけど、ソフトバンクがアップルのiphoneを発売して、スマホの端末を提供して、日本の携帯市場がスマホ一色になってしまったということもありましたね。

インターネットの世界は、そもそも、最初から世界に向けて開かれているし、『http://www』の『www』って、World Wide Web(ワールド ワイド ウェブ)という意味だしね。

それがネットの本質です。

ところで、ブログやツイッターなどで活動されている方が、ネット上での批判を気に病んでしまう事例が相変わらず多いようです。

(中略)

ある種、ブログを続けるというか、第三者へ向けて意見を書き続ける、表現をし続けるというのは、常に批判を受けることを前提とするものであって、それが嫌で、直面したので「心折れました」とか言っているのはヘタレ以外の何者でもないと思いますね。

打たれ弱い奴はブログとか辞めたほうがいいんじゃないですか(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュースより

 

この発言は、一種の『やさしさ』だったりする訳で、へタレという表現も、この人らしい、とてもやさしい表現です。

言葉は乱暴に見えるけど本人は歩道を歩いているつもりが、いつのまにか、高速道路の車道に突っ立てる人に対して、危ないから路側に避難した方がいいよ』と言ってる訳です。

ネットの世界って、そもそも、見えないので、自分がどこに立ってるのか見えないことも多いので、その立ち位置自体も、日々、刻々と変わっていくので、なかなか本人には把握しづらい面もあります。

ただ、ブログに、日頃、言えない日常の愚痴を書きたいというニーズはかなりあって、ネットする人は、現実の世界からの逃避で書く人も多いので、何とかそういうニーズも満たせる、比較的安全な場所があったらいいなとも思います。

 

 

新版 小説道場〈2〉

新版 小説道場〈2〉

 

 

 ブログを書くこと、文章を書くことの本質については、この本でも立ち読みしてもらえればいいのだが(もう古本でしか売ってないので読めないがw 図書館で借りたりしたり←JUNE小説が題材の小説批評なので、たぶん、置いてないけどw)、この本の中で、著者の中島梓こと作家の栗本薫 - Wikipedia中島梓は、栗本薫の評論する時に筆名で、実は彼女が世に出た最初の文章は文学批評だったりする)が、小説道場の門弟(弟子)たちに言ってるやさしい言葉が参考になると思います。

彼女はこの本の中で、ある可愛がってる門弟に『あなたは、自分の小説の内容について手紙を書いて、色々と言い訳するけど、そんな言い訳は読者には通用しない。そもそも、いちいち言い返す訳にはいかないし。読者の批判というのはいつも存在するし、そんなことをする暇があったら、自分自身の文章、小説を磨きなさい。自信が持てる作品を書きなさい』というような意味のことを言ってました。


ブログというのは、いいことを書いたとしても、いろんな人の立場からみれば、常に批判の対象になるし、そんなことをいちいち気にするなということです。それが普通なんで。人ができることは、自分の文章や自分自身を磨くしかないのではないかと思います。

最終的には、どうしても書きたいこと、伝えたいことがある人が、ブログや文章の世界で生き残っていくのでしょうが、太宰治ではないですが、作家や小説家に自殺者が多いという事例(有名人なので印象に残るだけで、実際は多くないという話もある)が意味することは、文章を書くことのリスクというのが存在するということです。


僕が想うに、こういう文章を書いて、不特定多数の人(世間)に批判されるというストレス、自分の理想の作品が書けないストレスとかあるとも思えますが、単純に部屋に篭ることが多いので、しだいに夜型生活になり、外出しないので、太陽の光を浴びない→うつ病になっていくというパターンがあるのではないかと思います。

このことについては長くなるので、またの機会に書くとして、僕も深夜2時にブログを書いてちゃいかんですね。まあ、20時~24時まで4時間寝てるんですけどw、また、寝なおしたいと思います。おやすみなさいw

 

 

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