新世紀の生き方、物語の世界

栗本慎一郎の経済人類学、白川静の漢字学、日本の古代史、日本人の起源論、小説や好きな本の話題など書いていきます。何ですが、ニュースとか、ネットの話題も多いです。

宇多田ヒカルと『彼女』

◇ 08.26(MON) 11:50 8月22日の朝


たぶん、宇多田ヒカルさんにとって、お母さんの宇多田純子さん(藤圭子さん)は、精神の病を抱えているとか、そういうことは抜きにして、ただただ、愛しい母親であったと思います。

何と表現したらいいのか、ちょっと、いい表現が見つからないのだが、自分の肉親や身近な人が医学的には病気なんだと思っても、夫の宇多田照實さんも書いてるように、類い稀な『気まぐれな』人でしかなかったのだと思います。

そして、ただただ、愛すべき女性であったと思います。


このあたりの気持ちは、ちょっとわかりずらいので、自分語りしつつ、僕の言いたかった気持ちを探してみます。

僕も幼い頃、義理の祖母(祖父の姉)と一緒に暮らしていて、実質的には彼女は僕の祖母そのものだった。

彼女の人生は、その前半生は分からない部分があるが、後半については非常に悲惨な人生だった。

土地などそれなりの資産を持っていたらしいが、夫は突然、眼病を発症し、財産を食いつぶしながら、帰らぬ人となった。

息子は戦争で戦死し、やはり、帰っては来なかった。

それでも、彼女は家2件分の土地を持っていて、息子の遺族年金と夫の年金で暮らせたので、戦後、焼け出された親戚が彼女の家に集まってきた。その家のおかげで、それぞれの家族が、それなりに職を得て暮らせていた。

僕の家族もそのひとつで、次第に高齢などで親戚が亡くなり、僕の家族が彼女の面倒を見ることになった。

僕は彼女にとって、義理の孫というか、息子の代わりとして、非常にかわいがられた。僕が小学校3年生になった頃、僕の家族は、彼女の家に養子縁組で入り、彼女の家を継ぎ、財産などを引き継いだ。

中学校の頃には家を新築し、彼女の援助もあり、僕は大学にいったりした。そして、大学3年生の時に彼女も帰らぬ人となった。


今、思えば、彼女は重度のPTSD心的外傷後ストレス障害)だったのかもしれないと、僕は31歳ぐらいに時に気づいた。自分の過去を整理していて。

夫と息子を相次いで亡くし、悲しみで心が壊れた彼女の話を3~4時間ほど、毎日、聴くのが、僕の小学校の頃の日課だった。子供ながら何とか彼女を助けたかったのだろうが、僕には話を聞くことぐらいしかできなかった。

彼女の語りは、過去の悲劇的な物語を、何度も繰り返すもので、同じ話が何度も繰り返されるものだったけど、時に、その話は歯車が狂って、また、違う話に派生することもあった。

客観的にみれば、狂人のたわごとなのだろうが、僕にとっては興味深い話であり、何度も同じような話が繰り返されるのだから、飽きるはずだが、たまに、歯車が狂うのが幸いして、他の彼女の記憶を再生するので、その話を聞くのが、結構、好きだった。坂崎家の歴史、亡くなった家族のエピソードを聴くのも好きだった。


こういうことに気づいた原因は、実は、旦那さんのDVで、重度のPTSD心的外傷後ストレス障害)らしい某人妻さんの話を聴いたのが、きっかけだった。

某人妻さんは、カウンセリングの参考にと(何故か僕はカウンセラー役だったw)、こういう本を紹介してくれた。

心的外傷と回復 〈増補版〉

心的外傷と回復 〈増補版〉


この本は子供の頃に虐待された子供などが、カウンセラーなどの助けによって、どのように回復していくかという臨床の記録だが、カウンセラーの身にどのような心理的危機が訪れるかということも書かれていて、非常に参考になった。

小学生の時から、重度のPTSDの祖母の話を聞いていた、僕の『特技』は、話を聴いている時にトランス状態に入ることだった(ただの居眠りという説もあるw)。

話を聴いているようで、聴いてないwという、意識状態は、話す人にとっては非常に快適らしく、婚活のデートで初対面の女性から、4時間ぶっ続けで話をされることもしばしばあり、『祖母の呪いモード』(泣)と命名されていた。

話が脱線しましたが、そういう愛すべき、ちょっと心が壊れた人々の話を聴いたり、実際にそういう人に会った(オフ会に参加し何故か幹事をしてたり)感想をいえば、そういう人々は非常に、まともだったりします。

普通の人より几帳面だったり(それがいけないのかもですが)、ごく普通で、ただ、非常に特殊な体験をし、多くは両親などの葛藤に巻き込まれた人々だったりします。

そういう体験すれば、おかしくもなるわなという感じで、ある限度を超えた体験をすれば、人はその時の心を本体から分離します。自衛のために。

忌まわしい過去の記憶を冷凍保存して、自分の心の本体から分離して、無意識に隔離してしまい、本人は忘れ去って、自覚がないということもあります。

それが悪化すれば、二重人格にもなるし、精神分裂とか、統合失調症という名前をつけたりします。それは医学上の名前、分類であって、僕にはあまり詳しくは分かりません。ただの名づけであって、便利かもしれないが、意味はないです。

でも、注意深く話を聴き、その人の分裂した心を見分けていれば、現象としては、その人の人格が急変したように見えても、ちゃんと理由はわかるし、そんなに不思議なことでもないのになあと思ったりします。

突然、話の聞き手が非難されることもありますが、それは本来なら虐待者に対しての怒りが、とばっちりで再現、解放されて、目の前の聞き手に向けられてるだけで、意味が分かれば、まあ、納得できることだと思います。

そんな人格がコロコロ変わったり、気分屋の人とは付き合いたくないという話もありますが、ただ、『聴き手側の心理的な洞察能力が低い』ので、そういう名前をつけて、自分の無能さを隠そうとしてるだけではないかと思うこともあります。

まあ、それは仕方ない、人間限界はあります。そういう限界をちゃんと設定しないから、心が壊れてしまうということもなのかもしれません。

話がまとまらなくなってきましたが、どうも僕の言いたいことは、とてもシンプルなものだったようです。


宇多田ヒカルさんにとって、母親は、ただただ、愛らしい母親だったのだと思います。


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